いやになるほど自分の神経の細かさに参ってしまう時があります。人が言ってはくれない声なき批判を聞けるように訓練したことが、こんな時は仇となります。
もっと図太くいきましょう。と、知らぬ顔の半兵衛を決め込むすべも覚えたりしました(笑) 「日本思想体系」の寺社縁起を購入しました。興味深い本です。 再放送の録画で「相棒」の亀山くん最終回を見ました。別れに際して握手ばかりだった杉下右京が、携帯で「気をつけて」とようやく告げた一言でまたグッときてしまう。どこまで私ゃ相棒贔屓なんだと我ながらあきれてしまいました。 原稿原稿と思いつつなかなか筆が進まず、これまた困ったことです。 このブログもそろそろ書き方を変えようかと思います。 時折、筆がすべって、いや指が上滑りして掘らなくてもいい穴を掘り下げようとする気配がするものですから…また、そんな時はわかった顔した第三者がブログに書き込みすぎはよくないなどとわかったような意見を言われるのも片腹痛しなもんですから(笑) これについて書けば際限のないほどにいろいろあるのですが、まあそんなこと書いてもまた同じことです。 要するにこれだけは言えます。このブログを書き始める時の動機となったあるテーマはとりあえず終了できたということ。だから違うことをテーマにしたい。それが違う書き方にしようという意味です。 いわば、小説にしてもエッセイにしても終焉はあるわけですが、日記に見まごうブログには、それ自体をやめる以外には終了はないわけです。が、雑記とはいえスタイルはそれなりにある。 丸谷才一氏は文体で全てが決まると言ってました。だから丸谷氏の小説はみな文体が違いますね。 私が書き方を変えると言ったのは、それに近い意味です。初期の目的、到達はあった。だから書き方を変えて次のテーマへと移行したいということです。 デリケートな暗渠や月の裏側は別な姿に昇華されるでしょう。いま、ふとそんな予感に支えられています。 では近々に… #
by nihon_buyou
| 2010-06-08 14:58
カナリヤのことで熱くなって、書かないでもいいことまで書いたせいでしょうかーアップする寸前に消えてしまいました。
ホントはファイルからもう一度引き出せば戻らなくもない。そん誘惑と戦いながらも、あれは載せるなとのお知らせと潔く?諦めることにしました。 いま私の机の上が錯綜しています(笑)現実には原稿の締め切りが4本ということですが、それより何より歌い出してしまった歌が耳元で渦を巻いているのがこの惨状の主たる原因だと思われるのです。 いまサウナから帰ってきました。やはり4キロ減でした。それはともあれ、帰ってきてお気に入りのアイスコーヒーを口にすれば、やはり詩は歌い続けなければならないと今更ながらの思いがこみ上げて涙が止まらなくなってしまいました。 80歳になる母が転んで鼻の下に青痣を作りました。ずっと気になっていましたが、せいぜいメールでのお見舞い。ようやく電話ができました。 遅々として進まない業務に怒りを覚えていたり、無礼者に対してもメールを送る余裕が生まれました。 踊りを作らせ、演出し、文章を書かかせるのは私の詩魂です。詩を詠むことはすべてが優しくなるばかりではない。時に現実以上の厳しさと直面しなければならない。 そんな時の孤独ーーーたった一瞬の淋しさに耐えかねて友を招き、酒に気を紛らわせていたのかもしれない。 淋しさに慣れる…またまた私の耳元でカナリヤが聞こえない歌を歌い始めました。 #
by nihon_buyou
| 2010-06-06 12:16
「カナリヤ」の稽古はひと休み。といっても、この一週間、演出の私も含めて、踊り手らがどれだけ成長できるかに作品の成否はかかっているような処にきています。
自分が忘れてしまった{カナリア}とは何なのか?また{日本舞踊}が忘れたものは? 昨日の晩は小林紀子バレエ・シアターの「眠れる森の美女」(ケネス・マクミラン版)第一幕でリラの精の前に次々とリフトで担がれてくる演出がないのが助かる。あれはまるで展示前のマネキン人形のようでいけない。 全体にロシアの暗く沈んだ神秘はないが、古風で紳士な世界観が出るのが特徴か。 リラの森が100年の眠りに閉ざされる瞬間は、いかにもバレエの面目。リラの精がターンを続ける中、装置の葉や蔓が下がり、紗幕が左右から閉ざしてくる。 回転が時間を誘導するのは古今東西同じだ。回転をし続けるバレエと、一回転で集約しようとする日本の能や舞踊とーーー 今日から子ども歌舞伎の稽古がスタートする。絵壬乃と龍葉は「連獅子」を、櫻鼓と龍葉は「二人袴」を指導させてもらう。元気でリフレッシュした歌舞伎舞踊に講師も受講生らも挑戦する。楽しみだ。 #
by nihon_buyou
| 2010-06-05 11:07
カナリヤ稽古二日過ぎーーー
いまは振付・演出の声がカナリヤの声を代弁して、あの歌この歌を干からびた声で歌っています。これらの声に水分を与え、命を甦らせてくれるのが演者である踊り手たちです。 踊り手は千差万別ーーー人生経験も、技術も、人間としての質も…同じ歌を聞き、同じ本を読んでも皆いだく思いが異なるように、カナリヤの聞こえない歌をひとりひとりどう聞くのでしょうか? 瀕死のカナリヤの唄は、いま私たちそれぞれに対し、それぞれにしか聞こえないそれぞれの歌を歌いかけてくれています。 #
by nihon_buyou
| 2010-06-04 08:14
飲まないと決めたら昨日はさすがに夜の時間が長く感じられます。ありがたいやらなんとやら…
まあそんなこんなも手伝って、ダイエットも第一目標には到達。登山でいえば5合目。いよいよこれからが急坂ですね。体力・気力充実を図りながら頑張ります。 なにより有難かったのは睡眠が深くなったこと。今日は7時間きちんと眠れました。なにしろ朝が大好き人間にとって、あまりに暗い時間に目が覚めてしまうこと。そこでひと仕事するとまた眠くなってしまい、ちょいとのつもりの惰眠が一日を不愉快にさせる。そんな日々が悪い習慣で身についてしまっていたので、我ながらさまざまに自分を案じていたところでした。睡眠なんて、なんていうこともないことが気になりだす「お年頃」かも、ですね。 今朝は子ども歌舞伎の「連獅子」の台本チェック。原稿。郵便。 これから「二人袴」の振付と稽古、午後は「カナリヤ」の稽古二日目です。 #
by nihon_buyou
| 2010-06-03 08:24
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