芝居は魔性と言いますが、たしかにそうですね。どんなに人格者、大先生と思ってた人も、有望熱意な若者も本性が出てしまうのですから、たしかに怖いものです。要するに人を莫迦にしてしまう作用があるようです。
たぶん集団的熱狂が冷静な判断や積み上げてきた理性を壊すのでしょうね。 その意味で今日は能の新作を一つ身に行きますが、ちょい気が重いのです。芝居人はそれがどんな芝居であれ、今やっている芝居がすべてになってしまう。その稽古期間になるとその事しかなくなる佇まいが私には煩いし、引いてしまうのです。 自分を劇化する。そうしなければ演じきれずに日常や周囲をも巻き込んでいく。その高揚感が芝居をする者にとってのドラッグ作用でもあるのです。 日舞にももちろん似た作用がありますが、芝居に比べどこか冷めているのは、自分で言葉を発さないことと集団より個人で舞台を作ることが多いことによりましょう。果たしてその是非はともあれ、日舞にとっては芝居はうらやましくもあり、煩わしくもある存在な気がします。 しかし、シェークスピアが言うように人生が一大戯場であるなら、そこがどんなに疎ましく狂気の巷であっても逃げることはできません。ただ、そこで逃げ腰の三文芝居に出演するか、晴れやかな大芝居をみずからプロデュースするかは本人次第。 あの時の若者は、そこでは悩める若者をずっと演じ続けるのかもしれません。
by nihon_buyou
| 2009-09-05 09:05
| 伝統芸能・日本舞踊・能狂言
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