前進座の「銃口」を観る。終戦から64回目の夏ーーーちょうど、広島と長崎に原爆が落とされた間の8月8日にこれを再び見ることができて、こみあげる思い。戦争をしらない私たちの世代でも、この物語を忘れかけた時こそ、また繰り返し上演してもらいたいレパートリーになった。
教室風景で始まるこの作品は、主人公北森竜太の個人的エピソードを除いては、生徒を大人なりの姿で演じさせ、教師と生徒が実際の目線を交えない反写実な作りをする。この大枠がこのドラマを語りにしていく。 北森竜太の高橋祐一郎ははじめ思いがめりすぎて作りものめくのが難だが、子供時代になり、さらに青年、結婚、出兵、そして教師へ復帰する折への屈曲点など、己が良心を貫こうとし挫折し悩む、不器用だが誠実な生きざまを見事に描いている。 柳生啓介が出色で、彼の人間の描き方には演技を超えて血が通っている。この人が演じる上等兵の朴訥なまでの真心の描出あって、この芝居は一気に人間の尊厳にまで高まっていく。単なる反戦を訴えるドラマでなくなるのだ。 舞台では演じられない彼の戦死を、戦友として北森に知らせるシーンで、武井がいつものせりふ術の枠を超えて、ダイレクトに観客の魂を鷲掴みにする言葉を発する。人によって生かされていくことの有難さとつらさがピッタリと貼りついた言霊に、魂が打ち震えるようだ。 ついでながら、柳生の加役の用務員は彼の遊び心と人への観察眼あってのもの。 ほかに、いまむらいずみのリアリティある演技と存在感をはじめ、出演者みなが隅々で呼吸して、この物語を伝える意味を実感しているのがよくわかる。 この作品は前進座の名作であると同時に私たちの記憶の形見になった。末永く、繰り返し上演されることと同時に、いまの出演者のそのままを記録しておいてもらうことを切に望む。
by nihon_buyou
| 2009-08-09 11:02
| 伝統芸能・日本舞踊・能狂言
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