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長瀞にて駄句などーー

 ひと月続いた芸術祭に疲れ、娘と紅葉見物がしたく、長瀞へ行く。娘は途中で急に知人宅へ訪れることになり、正丸で下車。私ひとり、お花畑駅から電車乗り換え、長瀞へーーー
 駅から川へ向かうと傘のいらない程度に雨が降り出す。川に近い店で、きゅうりの一本づけを購入。すれ違う若いカップルらが私の手にしたきゅうりを物珍しそうな視線で見るのを誇らしく思いながら川へ出ようとすると、直接川へ下る坂道が工事中で、少し道を戻り、迂回して岩畳につく。
 長瀞の紅葉は色とりどりだがいつも淡い。しかもまだ五分の色づき。三人の娘のうち、一人を背負って初めて家族旅行した日を思い出す。あの日にはたしか真っ赤に燃えるような紅色のもみじの下を潜り抜けた記憶がある。
 川面はいつものように深い緑に沈んでいた。この色が私を慰めてくれると同時に、胸に痛くなるような記憶も甦らせるのだ。雨が急に強くなったので持ち合わせた大ぶりの傘を広げる。岩畳にひとりー瀞の水に落ちる雨ー大きな黒い傘。そんな自分の景色が、句や歌を作らせる。
 時雨してけぶる紅葉のいき洗い
 長瀞の背はSLの汽笛咆ゆ
 雨の輪も川をくだるか傘のつえ
 背なと手の児と戯れし岩畳きょう昔日の紅葉もとめつ
 瀬を走る落ち葉に色はなけれども心に紅をさしてぞ帰る
 つづれする秩父の紅葉淡くしてまだ見ぬ恋の娘顔かも
# by nihon_buyou | 2007-11-14 06:03 | その他

寿南海のどこ吹く風ーー五行はへんだな

寿南海師のリサイタルで「風」が発表された。その前に踊った「松の内」では、やはり高齢が隠せない感があったが、この新作では同じ人かと目を疑うほど生き生きしている。以前のように体を使い込むことはないが、舞踊表現でいながら芝居心をうまく並存した行き方が、この種の創作の退屈さとは一線を画す。髭の意休が助六と出会い、頭に下駄を乗せられての一瞬の気見合い、鬚を抜くコケテッシュ。風の盆での若い男女の放恣な恋に顔を赤らむ時代感、凧合戦で糸に見立てた二本の襷をさばく息と腰などなど。
 この人の芸は立役と女役をなんの規制もなく、自由に往き来する。普通なら性や役を変換するにその場で一回転したり、後ろを向くなどの法則を作の中で作るわけだが、彼女にはそこに拘泥する理由がない。どうも始めから性を超え、役という枠をはずしたところーおそらく勝手に伸縮・膨張弛緩する自制装置でもってそれを行っているからだろう。暴言を吐けば、彼女の身体的短所にもなりかねない背の低さを、まるで植物の種子から、葉茎花という予想外の生態を現出させるマジックにしている。あの肩幅より広く取った引き足なぞ、まさに男女や役を飛躍した、巫女がかりの構えにさえ見える。
 その逆では、この時、ともに踊った若い女性二人は昨今、花柳や日本舞踊協会の創作舞踊でお馴染みの肉体の扱いであり、技術であった。洋舞にも満たず、日舞の国籍も失ったムード舞踊で女性の肉体からは出られない。これは出演した二人の責任では断じてなく、日舞界全体で産み出してしまった鬼っ子である。いわば踊る大道具、エフェクトマシンに過ぎない。100人からの群舞を成り立たせるために、洋舞まがいのテクニックを安易に導入した付けが、この人畜無害のムード舞踊を生んだのだ。この愚劣さに気付きながらも、もちつもたれつの作者・演出家・批評家・ジャーナリズムからも、そろそろ心ある、勇気ある提言者が出てもいい頃だ。このままだと日本舞踊は死んでしまう!
 今回の「風」は、以前発表された「土」「水」「火」につながるものとプログラムにあった。さらに、この「風」の後には「空」を上演したいとのこと。その一文のタイトルには「五行」の言葉が用いられていたが、これは「五輪」と「五行」が入り混じってしまったもののようだ。ちなみに「五行」は木火土金水の五つで、「五輪」は地水火風空だ。五輪で統一するには、先行作の「土」を「地」と改題しなければならず、五行なら風も空も当てはまらない。まあ、そんな議論はプログラムに「五行」なる文字があったからで、寿南海の作品はそんな規格をどこ吹く風と知らぬ空が似合っている。
# by nihon_buyou | 2007-10-07 10:55 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

夢やぶれ…芸大の新曲「浦島」

 坪内逍遥の「新曲浦島」の全編が復活初演されることは、かねてから聞いていたが、危ぶんでいた通り悲惨な作品になった。逍遥のコンセプトでもある日本の伝統音楽が枠を超えて、登場人物の立場や心理を掛け合わせ、そこから新しい日本音楽と舞踊を見出していこうという試みは、小規模であるなら、すでに多くの人々が行っている。が、その草分けである本作に着手するには、確かに芸大が抱える人脈はうってつけではあろう。しかし、一国一城の主たちは、それぞれの役回りに不要な序曲をつけたがる。だから音楽がかけあわされず、陳列されてしまう。まして、最終章にはオーケストラまで入るから、その指揮者は邦楽にまでタクトを振り、その間は常間!呼吸を忘れた邦楽は、鳥かごに入れられた獅子の悲劇だ。
 一幕目の舞台面もひどい。各ジャンルの演奏者を上手下手に二段ずつ、さらに最上階に通して一段。これらを全て覆い尽くして白紗がかかる。だから観客席からは、白いスクリーン状のものが背景としてあるわけだ。この前方で舞踊があるが、時折この紗幕になんとも陳腐な映像が投影される。波やくらげやお魚や…海から帰ってきた浦島は波の映像が映った紗幕の横をチョイとめくって登場するのだから、いまどき旅芝居でもお目にかかれないヒーローの出で、演者に気の毒。踊りも浦島青年が釣針の雫に映った幻の女性ー乙姫との出会い、そして竜宮への旅立ちシーンが冗漫。特に乙姫の振りは、ポーズからポーズへの連続で、歌舞伎舞踊の動きをさけ、女性の姿態を活かそうとヌラヌラ、お馴染みの創作舞踊振りが続出する。この手の振りは生れてこのかた50年ほど前から見ているが、すでに新しくもなく、かといって確たるメソッドがあるわけでもない。ただ演者の卓抜とした個性があるのみだ。歌舞伎舞踊にもならず、舞踏でもなく、演者の巧みさは伝えられても、感動が伝わるコードがはずされている舞踊に対しては、舞踊界あげて真剣な再考が必要だ。その時期はもう30年前から来ている。それに気がつかずにいるから、一般社会から能狂言や歌舞伎は評価されても、日本舞踊だけ顧みられなくなるのだ。日本舞踊の持つ器用さは、なんでも吸収してしまう。が、そのために自分の国籍を忘れてしまうのだ。しばらくの間、洋舞・洋楽・洋種を排すくらいのストイックさが日舞界には必要なのだ。実は逍遥の本作をよくよく読めば、彼の予感はそこにあるのにーー
 演出はなんでも盛り込むことではない。ここにもストイックさが必要で、蜷川幸雄氏が寵児になってからは、演出が作品を離れ目立ちたがる。今回では、歌舞伎の坂東三津五郎を坪内逍遥役に仕立て、途中で100年目に自作が初めて日の目をみたことや、会場である芸大の奏楽堂ができて120年になる喜びなどを語らせる。さらには「新楽劇論」の一節を読んで聴かせた。ある意味での観客サービスで、三津五郎も気持ちよさそうに自身を御馳走化した。が、そのために原作の持つ、切ないまでの理想希求の思いは無残なまでに打ち砕かれたのである。もしも本作に逍遥役をどうしても登場させたかったなら、山田風太郎が「新・八犬伝」で試みたように、作者・滝沢馬琴の苦悩と書かれる八犬伝の世界を交互にコラボさせるくらいに描かねば、理想を求めて敗退する主人公浦島と逍遥はだぶらないし、あそこでテーマを説明した以上はもう観客はそれから先を見なくてもよいと言われたに等しい。とかく伝統芸能の関係者は、プログラムにあらすじやテーマを任せ、実際の舞台ではおのが芸のみで勝負しようとする。その態度が観客の古典離れを誘致しているのだ。作品的にも逍遥は狂言まわしにもならず、なぜか出演させたかったためだけのピエロに堕した。三津五郎にも気の毒だったが、うまく演じられたこと、客受けがよいことで錯覚してはならない。この演出なら出なかったほうがよかったのだ。
 これらに象徴される失敗は、総体に仲間内、学生気分に戻った教授連の文化祭のノリゆえだ。互いの交流を暖めるのが主たる催しに化してしまう。知り合い・友達を周りにつけ敗退した安倍元首相の愚は茶の間では安易に批判できる。が、それがわが身になると見えずらくなるのも我々だ。ここにもストイックさが必要不可欠。
 逍遥の100年ぶりの夢は、またも破れてしまった…
# by nihon_buyou | 2007-09-16 14:39 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

日舞での「卒都婆小町」

尾上流の冬夏会を観る。プログラムは4曲だが、みな重い。中では「卒都婆小町」が、能のテーマをうまくいかにも日舞化したのがいい。特に原作の能では、百歳の小町に深草少将の霊が取り憑くのを、若い僧侶と出会い、問答の高揚の果てに恋の記憶を呼び覚まされ、踊り地に移行してゆくのが洒落ている。また、その際に思わず、横たわっている卒塔婆を足で踏み越える設定が効果的でうまい。主演の菊之亟も心象・技術ともに能では味わえぬ、テーマの変奏を巧みに表現していた。が、本来、原点の能で扱われる卒塔婆は、町卒塔婆で高野山から麓までの道標代わりに建てられたものだから、墓にある薄板ではない。町卒塔婆はもっと厚手で倒れていたらちょうど腰かけるにもってこいのものだから、老小町は腰を下したのだ。能では卒塔婆が実際に舞台上には出ず、シテがただ舞台に座るだけだったり、床几(日舞では葛桶)に腰かける。今回の舞台では、薄板が一枚置かれ、ここへ小町が腰を下ろすことになるが、どう考えても細く薄い板に座る必然性はないわけだ。しかし、この舞踊では卒塔婆を手に持ったり、踏んだりという重要な小道具にしてしまっているから、これを言い出したらもう作品が成り立たなくなってしまうだろう。作品の根本としても動機に間違いのあることは問題だが、それにあえて目をつぶれば、老女物を扱った作品では上質のものだ。次回の上演の折にはプログラムにでも、あえて薄板の卒塔婆を使用したと断り書きをいれるといい。
 
# by nihon_buyou | 2007-09-09 18:30 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

台風でも稽古はーーそして喘息

 9月5日に東京に洪水警報がでたので、葛飾区の連盟の稽古は皆さんご高齢でもあり、振り付けの私から延期を申し出たほうがいいかと思ったものの、なんとかなるわさと出かけてみる。なぜか行きも帰りも雨は小降り。ざんざと降ったのは、稽古時間の真っ最中だからやはりやってよかった。平均年齢はおそらく70数歳であろう役員さん方が、抒情歌による舞踊に初挑戦するにだから、20歳も下の私は只々頭が下がる。若い私が台風なんか気にしてなんのこっちゃ、である。この日のメイン曲は「信田の藪」という、あまり聞きなれないものだが、野口雨情の作詞がなんとも不条理な夢のようで、怖いような懐かしいような…振りには、藁しべに刺した赤とんぼを小道具で使ってみることにした。そして狐さんにも登場してもらおうーーー
 翌6日は自宅赤羽での稽古。台風は夜という漠然とした予報。門弟で夜に予約を入れていた人からぼちぼちと休みの電話が入る。結局、夜は周りの予想通り、寂蘭さんだけが、台風も恐れずやってきた。「浦島」の上げ浚いだ。残っていた5人が興味津津見守る。後半のおじいさんになってからがよくできて、私のOKサインが出たら、思わず皆から拍手が沸き起こった。寂蘭さんは女性だから、年齢不詳だが私よりはずっと上のことは確か。前日の葛飾の役員さん達といい、彼女といい、ご高齢の人に学びを得た台風の二日間だった。
 ーーー台風は喘息に影響を与えるとこの日知った。若い門弟で台風の気圧の関係で発作が起きた人が、やっては来たが稽古できず。もう一人の年配も体調調整で休まれた。やはり人間の体と自然のバランスは微妙だ。
# by nihon_buyou | 2007-09-07 14:34 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言