5.27

 稽古場へ行き、松岡正剛さんが偶然にも「カナリヤ」について触れている熱い文章と、蜷川幸雄さんのインタビュウーを空間の人々に読んでもらいたいと各人にコピーしました。
 まあ、でもこれも私の一人よがりかもしれません。それぞれに年齢や生き方がありますものね。

 年をとるってステキなことなのに、体に脂肪がつくように心にも贅肉がつくものです。人のことはどうでもいいこと。他人事ーーー自戒自戒!!!

 今日は赤羽稽古と夜は舞創でのワークショップ。
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# by nihon_buyou | 2010-05-27 08:35

5.25

 肥満した心と体は、井戸端会議のおばさんやセクハラ上司と同じ無駄口を叩いて周囲に厭な感情を振りまいても一向に気づかない鈍感さを導きますね。
 やはり神経のどかかが鈍磨してしまう?そんな怖れが私にいまダイエットに向かわせています。一週間でスローでおよそ2キロ。公演までには徐々に加速度を増して自分をおおいに苛めてみます。
 誰ももう何も言ってくれなくなってますものね。ライバルは自分自身!

 この処、空間も徐々に眠りから醒めかけてきています。皆それぞれ課題は違いますし、程度も異なります。
 一番難しいのは、課題を課題としてはっきり自覚にまで高めることです。悪い点を直すという次元ではありません。自分が何をしたいのか、すべきかという問いを正面に据えることなのですね。

 要するに今までやれなかったこと、やってなかったことが課題に他なりません。
別にやりたくなかったらやらなくてもいいことでもあるので、気付かぬ振りしたり、怒ったり、不平や愚痴に誤魔化してしまうこともできますね。

 これも全て自由です。

 自分で課題を見つけた経験のなさそうな人には、誰かかが教えてあげます。はじめての人にはそれが自分への批判だと受け取れて困惑したり、激怒する人までいます。中にはいじけたり、暗く落ち込んでしまう人もいます。まずはこの第一歩の反応がその後の方向を決めてしまう傾向もありますね。

 私はとにかく稀代の方向音痴です。先日も人形町から小伝馬町の交差点までの一本道を行きは真っ直ぐ歩いて来ましたが、ある建物に入り、そこを出た瞬間からもう帰る方向がわかりません。たぶんあっちだろうとは思いましたが、それでいつも大間違いをするのが常なので、すぐに地下鉄に潜り、一駅だけ乗って人形町に戻りました。

 このくだらなさと、各人が持ち合わせている心の方向指示器は、ある刺激に対しては必ず間違った指示を出すことというクセと似ていはしないでしょうか?
 これはたぶん治らない。だからその時点が来たら誰かに道を聞くか、電車に乗って目的地まで連れてってもらえばいい。多くはそこで自分で解決してやろう!と野心を起こすのが間違いのもと。言い訳、愚痴、さかしら、おしゃべり、野心…(笑)(笑)(笑)
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# by nihon_buyou | 2010-05-25 07:30

5.23

隣の席で咳をしていられると無性に気になります。子供の頃から風邪にうつりやすかったからでしょう。すぐに気管支のあたりが痛くなって能どころではなくなってしまいました。

そんな時の自衛策は咳している時に息を強く吐くことなんですが、相手が咳をするちょっと前にはわかってしまうので、その時点から息を長く吐きます。こうなると御想像の通り、能どころではなくなってしまいますから、不能というか不幸としか言いようがありません。

終わってすぐにトイレでうがいをし、不機嫌なままロビーにでると「村さん、ありがとうございました」と後ろから声をかけられました。井上八千代さんでした。途端に不機嫌が吹っ飛んでしまったのですから、京舞の威力は私にとっては風邪より強いことを確信しました。
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# by nihon_buyou | 2010-05-22 22:28

勅使川原三郎の「オブセッション」 5.22

 勅使川原三郎の「オブセッション」相方の佐東と男女のせめぎ合い、葛藤が描かれる。
 
 題材やテーマがある意味で日常的なぶん、いつものスピーディーで激しい動きが、ピュアな肉体運動に還元、昇華されず意味を背負ってしまう。
 病者のカルテを見るような勅使川原の異態な動きも結局、彼女への思いゆえかと感じれば、それすら説明に堕してしまう。おそそらく具体と抽象のバランスが前者に傾いて見えてしまうところが、この作品を男女にありがちな揺らぎと傷つけあいにしてしまうのだ。
 
 今回の舞台デザインの特徴は電球ーーー毎回、思いもよらぬ仕掛けで想像力を掻き立ててくれるのだが、不思議だったのは椅子下の明りくらいで、さほどの驚きをもたらさない。最終シーンに佐東が寝そべり、顔前に花のように咲く明りの群れは美しく、男女のすれ違い、別れ、慟哭があっても女性は再び冷えた花を見出すという、勅使川原のロマンチシズムとも皮肉あるいは畏れとも受け取れる部分は確かに総括としての人間観を見た気がした。
 
 それにしても毎回思うことだが、佐東の肌色のシャツとパンツの姿は彼女のダンスの魅力を半減させる。衣裳や肉体の線にこだわらない勅使川原の考えからだろうが、照明の中では肌色がいわゆるババシャツのらくだ色に見え、シャツとパンツが重なる腹から腰にかけては大きな皺が横線として入るので、色が色だけにそれが彼女の皮膚のたるみに見えるのだ。あの超スピードのダンスでは、線より動きが主眼であるのはわからなくはないが、エンターテインメントとしての快感は大いに減じてしまう。
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# by nihon_buyou | 2010-05-22 08:15

5.21

 友人の舞踊家の「三社祭」の稽古を頼まれ拝見して来ました。
 二人とも一回半ほど踊っただけでしたが、着物を汗でぶち抜いていました。ふと大学生の私が亡父と初演したときのことや、今の海老蔵さん(新之助時代)に振り移しながら何十回と一緒に踊ったことなどを懐かしく思い出していました。

 夕方、有楽町で慶応大学経済学部のゼミOBたちの集う会で「しぐさ」についての短い講演をさせていただきました。文化学院の立花利根先生のご紹介で、その御主人らが中心になっている50年も続いた集まりでした。
 皆さん70歳を過ぎた大先輩がたで、帰りにも参加者の方から最高に面白かったと声をかけて戴きましたが、自分としてはもう一つまとめがうまくいかなかった反省をしました。

 雨の中、古宮さんと会い、一時間ほど飲みながら来年の企画の話。

 6月中旬に発行予定の季刊誌の準備を並行してやっています。
 公演のためのマネージャーも心づもりしていた人が別の仕事に就くようで、新たにさがさなければなりません。
 振り付けをし、演出をし、プロデューサーをし、今回は出演もするーーそこに稽古やら原稿やら日常の作業が入ります。もうそんな事は出来ませんし、やってはすべてが軽薄なものになるでしょう。助けてくれる人を急募しなければ…
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# by nihon_buyou | 2010-05-21 05:08