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11.30

 芸術新潮は唐招提寺の特集です。千手観音などの仏様の指一本一本の表情まで居ながらにして拝見できます。今年中になんとしてもお参りにの気持がまた強くなっています。時間は追われるものでなく、追い抜くものですものね。

 圓生師のCD「梅若礼三郎」の中に、能役者の礼三郎が老女役の工夫に思い悩み、願掛けの満願の日、寺の石段を上ってくる老女を見て工夫を思いつく件があります。
 しかし、礼三郎はその老女から「老人などの工夫は見てできるかもしれないが、龍神や鬼などはどうするのだ。型で型を教わるのでなく、型に型を教えるくらいにならないといけない」と諭されます。話としてはこの老女に凄味がありすぎますが、圓生師のあの落語を生んだ底に流れるものはこれだなって気がしました。

 型は依り代です。が、ただ依り代を立てただけでは神は降りてこないのと同じで、そこに祈りや芸に対するまっさらな献身がなければなりません。ただの自己表現のうちは「芸」は降りてきません。自己を無心にするほど、夢中になり高揚感にうちふるえてこそ天は力を貸してくれるのです。

 他人の目ばかりを気にしたり、体裁を取り繕うことが第一義のうちは天どころか人の心すら動かないものです。評価はあくまでも結果であり第三者の自由です。どんなに他人の目を気にして行動しても、人は勝手になにかを感じ取ります。奇麗事にうわべを繕えばそれだけ人は裏の匂いを嗅ぎつけますし、識者は取り繕いというだけでもうその場から立ち去ってしまうものです。

 ウエッジ文庫から出た「蘆江怪談集」を読み始めました。作品もなかなかですが、この文庫にコバルトブルーの紐しおりが付けられていたのが嬉しい思いでした。

 今日から歌舞伎の稽古は追い込みです。いよいよ土曜開幕ー
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by nihon_buyou | 2009-11-30 10:05 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

型と花

 今日は久々のサウナでした。馴染みのおじさんがいなくてちょい淋しかったのと、あまり発汗はしなかった気がします。いつも冬場はそんな感じです。

 夕方から楽千代さんの下合わせ。地歌「山姥」と義太夫「しゃべり山姥」はなかなかの組み合わせです。彼女は楽生師匠の秘蔵弟子。日本舞踊協会にもたまたま属さず、今まではほとんど表だった舞台には出ない人でしたが、こういう人がいたことに驚かされます。虚名ではなく、眼力ある識者は彼女の芸がおわかりになるでしょう。6日が楽しみです。

 
 明日から歌舞伎は刈り込み作業に入ります。内輪で受けるところ必ずしもお客様は喜ぶとは限りません。また自分はいいと思っても第三者からは鼻もちならないものに映ったりします。
歌舞伎は確かに「型」が重要です。が、型から型を教わっているうちはリアリティが生まれません。型に型を教えるくらいにならないとお客様の心を打つ芝居にはなりません。
 二枚目、三枚目、善と悪などもただのパターンにはまろうとした途端、すべては嘘になります。芝居に描かれた悪人すら本当は自分を悪と思って演じた途端、通俗に堕すのです。彼らとて行動、生きざまに論理がある。ただそれを善とか悪とか仕分けするのは見ている第三者なのです。


 型は偉大なる手本であり、道しるべです。しかし、その目的地には違う道もあれば、また同じ道をたどっても見える景色も心象も違うのです。


 評価はすべて第三者です。わたしはその第三者に回るケースもしばしばありますが、それとてついパターンに落ちたり、安全パイを拾いがちになるものです。批評家とて常に迷いを生じるものです。いや迷わない批評には近代はないかもしれません(これはちょいと過激ー(笑))

 変化してこそ花、移ろってこそ花です。やる側も見る側も型にはまった時に花は萎むと知らねばならないのかもしれません。
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by nihon_buyou | 2009-11-29 23:49 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

ちかごろのノート

  歌舞伎の稽古は出演者が木曜あたりは殺気だっていて、皆が皆、それぞれの事情で自分のことに精いっぱいの状態でした。それをなんとか鎮静しようと、金曜はサラリと通すことのみ試みました。それで全体が見えたでしょうし、またなにが問題かが浮き上がってきて気もいい方向に落ち着いたかと思いました。


 土曜日曜はなんとなく自分の時間に戻れるような気がします。と言っても今日は能があったり、明日は楽千代の下合わせなどがあるのですが、越境者が地元近くに戻った感覚になるのは不思議ですね。


 私は方向オンチですから、放浪の旅などは絶対にできません。でも、西行や芭蕉の一所不住にはとても憧れます。安定感がほしい反面、いつも新しい世界にあこがれつづけます。それは理想に過ぎて、具体的にはどんな状態か見当すらついていなかったのですが、もしかしたら現在がその状況なのかもしれません。
 しかし、きっとこれも変わっていく…いや、自分で満足できずに変えていくのでしょうね。
家に到来した釈迦像は「天上天下唯我独尊」と私に指標を与えて下さっています。唯我独尊とは自分だけが尊いという意味にはとれません。あまりに深遠ですが、現況と将来へ対して私の覚悟を促していることだけは朧気ながらわかります。


 孤独が好きなわりには、みんなと一緒にもいたい!それもまた揺れ動き、定まらない自分です。そんな自分を抱えながら、ふと見上げればまっ青な空であったかな陽ざし。涙が出そうなほどの感謝が胸に込み上げてきます。


 しばらく見つからなかったノート4冊分の私への霊言がふと出てきました。これからそれを久しぶりに読んでみることにします。 
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by nihon_buyou | 2009-11-28 10:44 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

11.26

 この処、朝から夜までいくつかの仕事掛け持ちで、ブログがお休みがちになってます。

 赤羽の稽古はなんとか今月のノルマ?終了で、ホッとしましたが、来月もまた変則稽古日で門弟には迷惑をかけてしまいます。ホントはこんな時のために代稽古の人と思うですが、その人もともに忙しかったりなんやかやで、やはり私が稽古頑張らねば~であります。頼られるうちが花なりかも。
 
 昨日はおどりの空間の新舞踊講習会でしたが、こちらもとうとうお休みさせていただきました。これは私が休んでも最強メンバーがいるので、なんとかやれますし、もしかしたら居ないほうがうまくいったりして…


 歌舞伎の稽古は混沌としていた内容を作者・企画者の意図に添い、出演者・スタッフ等の思惑も考えつつも、大幅刈り込み整理しました。なんとかシェイプアップした感ありです。
作品としては女性同士の対立はもちろんですが、古い権力と新興勢力との拮抗はまるで現代と同じ構図を持っていますし、わずかに仄見える黒魔術的世界観と光の世界との配置も隠し味になっています。
 とにかく、この時代物を幕なしの構成舞台でご覧にいれるのが今回の意図で、めくるめく場面が変わりながらもたっぷり歌舞伎は味わっていただけるようになっています。


 そんなわけで、能をはじめ舞踏やバレエなど見たい舞台がほとんど拝見できないのがたまらなく残念です。来月もこの状態が続くので、いまやりくり算段中です


 今日はこれから楽千代公演のつぼ合わせと夕方からは歌舞伎の稽古です。。
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by nihon_buyou | 2009-11-26 11:51 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

11.24

 22日㈰に宝生別会に出かけました。以前、能を見る日は恋人に会うような気分のようでウキウキしましたが、最近はその感覚が薄れてさびしく思っていました。が、毎日、稽古が続いているせいでしょうか、この日を心待ちにしている自分に久しぶりに会いました。

 ロビーで若き宝生宗家の妹さんに2年ぶりの再会。この兄妹はたいへんな辛い思いをしてきたと思いますが、今日まで耐えて頑張った心のうちを思うと胸が熱くなります。私の愚娘らとほとんど年も変わらないことが、私に特にこんな思いを懐かせるのです。
 若き宗家の「船弁慶」は前シテの嫋嫋とした風情がよく、太夫の風格を垣間見た瞬間もありました。後の知盛は身体が時折不安定になるのが気になりました。これらはまた能楽ジャーナルで書かせていただくことにして…とにかく私は勝手に陰ながらこの兄妹を応援してしまうのです。


 23日㈪祭日でしたが、赤羽にて丸一日稽古。ついでに講習会のVTR撮影。今回は天童よしみ「花筏」と小唄「いきな烏」素直で小じゃれた振り付けになったかと思う。

そんな中で季刊誌の原稿やら校正。今回からいよいよ10,000部発行の大台に乗るのでちょいたいへん。皆も遅くまで事務所から帰れないでいました。


 今日は季刊誌の校正チェックに楽千代プログラムの原稿、2時から歌舞伎稽古です。大詰の混沌とした台本を洗い直して、すっきりさせる作業にとりかかろうと思っています。
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by nihon_buyou | 2009-11-24 09:00 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

11.21お練り

 文化学院では「仮名手本忠臣蔵」のDVDを見ながらの3回目。四段目でしたが、切腹にしろ、大星が委細飲み込んだと腹をうつ仕草その他、実に腹、肚に心あるいは命の中心があるという信仰めいた感覚があるのがわかりますね。
 
 「腹におさめる」というように、肚は宇宙の中心だったのでしょう。
自決の仕方でも、介錯人が最終的には首をはねるのですから、わざわざ切腹というまりくどく、また時間的にもなかなか死ねない方法よりは他に効率的なものはあります。それでも、時代が下れば実際には腹を切った真似だけしてあとは介錯人に任せる「扇腹」にいたっても、それでも「腹を切る」いやその擬似的行為は遺しています。
 
 切腹の原義はどうも腹から内臓を引き出し、前へ並べて肚の中を白日のもとに曝したり、あるいは天に捧げる意があったようです。ということは、ここでも腹の中に含まれているものが全てであるとか、天の意と交流できると考えた節がうかがえますね。

 昨日は稽古の前に、朝丘さん、浅利さん、竜さんと季刊誌用の座談をしました。時間が短い中でしたが、皆さんこの芝居について積極的に語ってくれたのはありがたく、読者の方々にも役者さんはこうやって役を作り、台本を読むのか、といった興味深い内容になりましたので、どうぞ楽しみにしてください。
 
 (季刊誌はおどりの空間までお問い合わせいただければ無料で差し上げております。また公演会場でも差し上げております)

 
 今日はその歌舞伎公演のため「お練り」をします。3時から巣鴨通り商店街入口からとげぬき地蔵の高岩寺までです。
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by nihon_buyou | 2009-11-21 08:34 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

朝のおもいから

 朝目覚めた瞬間の思いが一日の気を左右します。それは私のここ1,2年の不調から学んだものです。
 それなのに、この二日間はその悪念に付き合ってしまいました。このブログはその反省が書かせています。

 不愉快な話に自分を惑わせてはいけませんね。残念、とても残念ですが、わからない人は最後までわからないということがやはりあります。
 わからないことは立場、経験、年齢などによって異なりますから誰にでもあるものです。が、常識はつねに磨きをかけられますし、嫉妬や邪心は抑制を学ぶことができます。
 しかし、それらの努力を最初から放棄したり、いつもそちらへ心が向かいがちな傾向にある人はどれだけ言っても無駄骨であることが多いようです。
 そういう人は身体を見ると大体しまりがありません。これは肥っているとかいないとは別種のことで、痩せている人でも同じです。

 やはり心身は一如なのですね。天風先生や藤平先生の教えが最近とても身にしみています。と同時に「縁なき衆生は度しがたし」も痛く響いてきます。
 もしも私が仮にも人にものを教える立場でなかったら、この痛みはなかったのかな、などと想像もしたりします。どんな人に対しても諦めてはならない立場であり、完全でない自分が人に何かを教えることによって自分にも負荷や励み、向上心を与えていく、これがこの仕事の片隅にでもいる人間の運命なのです。
 
 なあんて、こんなこと書いてまた自分に負荷を与えていますね。こうでもしないと自分が学べないからなのでしょうね。

 お人好しはやめると宣言?いや自分に言い聞かせてから何年たったでしょうか。人のために一肌ぬいだり、人に人を紹介してあとになってその場にいるにも関わらず自分抜きの強い関係が向こうに出来上がっているのを見て無力感にとらわれたり…
 そんなことはもうやめようと何度も思いながらもついつい…しかし、最近はいろいろ試みています。不愉快であることの表明をしだしました。冗談にまぎらして言う、はっきり言う、文章にして書く等々。
大切な人間関係は一朝一夕で築けたものではありません。まして仕事関係から個人的付き合いに発展する場合は特にリスクを背負うものです。周囲や別業種の人にはわからないデリケートな隠れた部分があるものです。
 お酒の席は人と人との垣根を取り払ってくれるものですが、ついでに紹介者や仲介者である「わたし」まで取り払われるのは不快ですね(笑)お人好しだから、そのあたりに関してはうるさくはないと思われてしまうようです。でもホントはさまざまな悔しさを自分の理性でコントロールしているだけにすぎません。それで「人格者」なんて言われると余計に自分へ箍をはめたがるのですが、もうそのクセは捨てつつあります。


 このあたり、友人のKさんはうまく私を扱ってくれるので助かります。先日も私が縁で知り合った人との商談めいた話に対して、その仕事内容は全く無知な私を仲介者として立ててくれる。それは彼の中に「縁」の一文字を大切にする心がいつも働いているからなんですね。

 そんな彼にも、部外者の我らから見れば切ってもよさそうな部下がいますが、やはり「縁ですから」と言ってそれをしようとはしません。
 
 どこからが縁でどこからは無縁にするかの判断は実は簡単そうでとても難しいものです。業種、立場、年齢、信条などで皆それが異なります。

 また「縁側論」になりそうなので、今日はこれくらいにしておきます。
 今日は大学での講義、赤羽で稽古、その後、夕方から歌舞伎の稽古です。

 想念はこのブログを書く中で洗い清められました。
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by nihon_buyou | 2009-11-20 09:01

ワープすること

 今日は突然、歌舞伎の本公演の稽古が休みになりました。
 午前中は12月に水戸である舞踊会の手合わせにいきます。「櫓のお七」です。

 昨日は三女にマスクかけたまま稽古をさせました。セリフですので、他の役者さんに風邪をうつしてはいけませんものね。

 「加賀見山」はさまざまに役者さんが演技に工夫を凝らしているので、型は整っていますが、上演ごとに出る場面に大同小異があって、その折ごとの台本ややり方を寄せ集めますと細かい部分で矛盾点が出てしまいがちなものです。いま、そんな部分を発見しては稽古の中でさまざま皆で知恵を出し合い解決していってます。
 
 歌舞伎のお客様は役者さんの演技を楽しみに見る方が多いようですが、それでも台本に矛盾があることは、人間でいえば骨格にゆがみがあるのと同じです。これも考え合わせながら従来のやり方の矛盾点を是正しながら創るのもこの公演の意義だと思うのです。
 
 でも遊びも必要ーーー理屈ばかりでは人間もつまらない人になりがち。歌舞伎には特に遊びがなければ時空をワープできません。時空を超えてこそ「芸能」です。
 
 芸ばかりが肥大化しては歌舞伎も「芸能」も滅びます。能狂言も文楽も歌舞伎も日本舞踊も、それぞれの時代や考え方に理は通っているのです。荒唐無稽と考える部分は、実は現代人にとってその理が見つけ出しにくい処であるからにすぎません。よくよく見、読み、必ずワープするための「踏み切り板」があります。私たちもそこでジャンプできる精神や感覚があるかないかを問われているだけなのです。
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by nihon_buyou | 2009-11-18 09:19 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

11.17

 稽古場に朝丘さんからたくさん蜜柑の差し入れ。私もつい2,3日前、近所で買ったら美味しくなく蜜柑好きとしてはちょいめげていたとこなので大歓迎。あまり喜んだせいか、私には一袋別にくださる。感謝ー

 稽古終わって楽千代さんの店へ打ち合わせ方々…ビール2杯でだいぶ酔う。自覚はなくても疲れているのかな? 
 
 11時半に眠るように心がけた。子守唄は圓生の落語。なにを聞いたか覚えていないのだから、即眠だったのでしょう。

 その時間に就寝できると朝の目覚めは理想的。5時半にあまりためらわず身を起こし、録画の整理など。これから校正、文化庁の小用、振り付けの確認などすませて、2時から歌舞伎の稽古に出る予定。
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by nihon_buyou | 2009-11-17 07:40

11.16

 晩から原稿書き出し、11時半にいったん眠り、一時半に起きて続きをーーー四時半に15枚書き上げ。まるで学校時代の宿題をしている気分です。

 今朝はこれからひと眠りして、起きたら歌舞伎の振り付けをしようと思います。

 昨日、「笑点」の録画を見ていたら、母の小唄の稽古に通っている立川志遊さんが真打ちになった披露口上がありました。めでたいことです!
 つい1週間ほど前、稽古場の前で志遊さんとあったので「おめでとう」の挨拶をしたら、「これも胡治師匠のお陰です」などと如才ない返事を返してくれました。お陰かどうかは定かではありませんが、もう10年近く稽古には通っているのではないでしょうか?
 やはり、そんな精進が実を結んだのは確かなことと思われます。

 
 では、いったん、おやすみなさい…
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by nihon_buyou | 2009-11-16 05:50