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ラジオ終わり、歌との出会い

 ラジオ収録、急なわりにはまあまあな出来。音源も出そろわないうちのコメントは編集でいかようにでもなるよう話せた。

 終わってタクシーで目黒へーー新田氏の案内で中華で飲みつつあれこれ話す。荒木一郎氏の話題で盛り上がった時、当のご本人から新田氏の携帯へ電話が入った!やはり呼ぶもんだと思った。
 製作中の映画の話、私の周囲の人材を売り込む。私もなかなかしたたかになりつつある。
 来週中旬以降に相談・面談かたがた再会を約束して別れる。

 新田氏がプロデュースしたCDを三種もらう。「三世 四世今藤長十郎全集」(10枚組)は踊りにとっての宝になる。これで、いい踊り作って蔵でも建てたら住まわせてあげるというお礼メールを出す。感謝だ。
 朝になってあとの2枚を聴く。これも彼の企画ものだが、まずは「JAPANEZE BOSSA NOVA」70年代の日本歌手がボサノバのリズムでアレンジした曲が集められている。加山雄三、森山良子、寺尾聡、平山三紀、いしだあゆみ、佐良直美そして荒木一郎。変わったところでは大橋巨泉とザ・サラブレッズまで合計21曲。レコード会社を超えて集めた企画だから楽しめる。
 そしてもう一枚には聴いて胸が掻き毟られるほどときめいた。松任谷由美や竹内まりあの歌をキャロル・セラがフランス語で歌った逸品!
 松任谷の歌は、当時真面目学生を気取ってた私には曲は良くても声のアンニュイさにもう一つ溶け込めないものがあった。もちろん、いまではカラオケでは「やさしさに包まれたなら」を好んで歌うくらいなのだが、青春期にあの声音は私には合わなかったせいで思い出が伴なっていない。
 が、このCD・キャロル・セラの歌声は物憂さに可愛さが同居していて完全にまいってしまった。ある種の抒情歌で、そこにリズムとテンポが加わるから私にとっての松任谷の歌は、私の生きる時間の大切な局面に貼り付くことが予想された。
 これまた新田氏に感激メールを送ったら、なんと朝の7時33分。朝っぱらからの感動、ちょいとした非常識メールの苦笑いが、この歌との出会いの第1頁になった。
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by nihon_buyou | 2009-07-30 08:42 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

ラジオの収録

 わかっていながらの勘違いーーー今日ラジオ収録を来週と思いこんでいた。やはりお話がいきなりだったのと、担当ディレクターと5週分の曲目を昨日まだ決めている余裕?がなんとなくそう思わせたのだ。
 というわけで、午後からNHKに収録。放送も8月の毎週土曜朝9:30~10:00。これまた今度の1日(土)から放送されてしまう。あせりはないが実感もなかなか湧かない。TVにしても、いつも1か月以上は待っての放送に慣れているからだ。これからはどんどんサイクルが早くなるかも(笑)

 昨日は空間の新舞踊ビデオ撮影の稽古と立会い。夜は二人だけ稽古。終わって5人で食事がてら軽く飲む。
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by nihon_buyou | 2009-07-29 04:51 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

壁から向こうを見る

 明日のラジオの収録は、括りが「おどりの楽しみ方」なので、見たてや物真似にしても話としてはうまくいくが、曲をメインに考えたときには意外と困るものだ。いわば音楽側からそれらを語っていかねばならないからだ。曲のほうだけでうまく構図を見せてくれるものを見つけるのにちょっと苦しんでいる。これは新しい私へのチャレンジだが…
 
 萩原流行さんとの対談もこちらは枠が見えてこない。まだ稽古に入っていないせいもある。
 マンガ狂言は行き詰った。やはり漫画の発想力、飛躍がたよりだからこの部分には踏み込めないし、またわからない。
 10月、辻村寿三郎さんから始まる亀屋さんのライヴセレクション。小さなスペースだけに経済がなかなか難しい。限られた予算の中での贅沢。つづく企画に塩胡椒に隠し味。発想と同時にプロデュース手腕が問われる。
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by nihon_buyou | 2009-07-28 09:08 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

新舞踊の講評

 昨日は打ち上げの後、二次会・三次会の気配が面倒で日帰りで東京に帰って来てしまった。

 あちらのコンクールの講評で述べたことーーー

 出演者個人はまず居所によって舞踊の印象がずいぶんと違ってくるという事。
 多くの人が舞台のかなり前方で踊っていたが、中心位置をもっと奥にとり、ここぞという1.2か所のみ前方に迫り出すように踊るとインパクトが強くなる。やたらと前でばかり踊っていると観客からは押しつけがましいものに見えてしまうから要注意だ。

 振り付けに関しては今回の場合、審査対象外だが、それでも良し悪しは演者を引き立てもすれば効果を減じるこおもある。
 1コーラスにAメローBメローサビという展開があった場合、一番の力の入れどころはBメロで、そこをたっぷり踊れるようにするとサビは自然と盛り上がるものだ。なまじ曲の通りサビで踊り狂えば、嫌味でうるさい感じになる。例えば、ロケットの発射でも、エネルギーが必要なのは地上から飛び立つ瞬間であって、空へ飛んでからは推進力に任せてしまえばいい。いわば曲としても飛翔する前を充分に踊り込んでおけば、サビは曲の盛り上がりにゆだねて軽々と踊っていればいいわけである。

 小道具の選択においては、労働する役の漁師や農民などが櫂やザルなどで踊ったあと、扇子を使うのはおかしい。扇子はあくまでも抽象的で儀礼的な性格をどうしても担うとりものだから、それがあまりにリアルな生活感ある小道具といっしょに出ると違和感を生じやすいのである。

 団体演技では、ユニゾンが圧倒的であったにが残念だった。シンメトリーは当然のこと、ただ横一列のまま同じ振りを踊ると、体型や個性の違いや技量の差が歴然として、ばらつきが目立ってしまう。こういうときには、所々に皆がそれぞれを生かせる違った動きやポーズをすればいいわけだ。

 それでなくとも歌謡曲舞踊は曲自体にすでに世界がある。そこに踊りをつけるのは単なる説明で終わらせてはいけない。さらに一般の人にとってはカラオケで歌うのとはまた違って踊る楽しさも必要なわけだ。そこの兼ね合いについては話ができなかったが、参加者も観客も皆さん、真剣に私の講評を聴いていただいた。
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by nihon_buyou | 2009-07-27 11:21 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

花巻で時間を追って

 いま花巻で恒例になった舞踊コンクールの開演30分前だ。だいぶ涼しいから出演者にはいくらか楽だろう。
 今朝一番の新幹線でやってきた。却ってこういうときは地元の審査員より楽屋入りは早くなる。
 新舞踊50曲だから、さほどの量ではない。が、その分、主催者の経営はたいへんな苦労だ。帰りに渡り温泉に案内すると言われ、つい遠慮してしまうのも、なまじ経営がわかってしまうせいでもある。

 今日は温泉や水沢市でも大会があって出演者も来場者も分散しているらしい。いよいよ開幕ーーー会長の開会宣言に続いて私の挨拶。そして舞踊へーーー

 
 
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by nihon_buyou | 2009-07-26 10:11 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

メモと単語帳

 お風呂に入って本を読んでいると、さまざまなことをいつも思い出す。
 あれをしなきゃ、これをしようと意欲が湧く。原稿が詰まったり、いいプランが出ない時も、サウナに行くとなぜか答えに導かれるのと似ているが、自宅風呂の時はわりと目先の用事や思いつきであるのが違う。昨日はメモ用紙がいっぱいになるほどの書き込みだった。
 
 メモといえば最近、単語帳を持ち歩いている。ちょっとした情報や豆知識を書き込んでおくためだ。以前は覚えているだろうと多寡をくくって聞き流しにしていた。開き直って、ホントに必要な知識なら記憶にとどまっているはずと決めたが、いざ思い出す段になると出てこないのが圧倒的だった。自分に過大評価を与えちゃならん証拠だった。

 ついにデジカメと、子供たちからバースデーでプレゼントされたボイスレコーダーも使い始めている。
 情報はあくまでも材料でしかない。データの信憑性を見極めたら、あとは料理の仕方である。結論や要旨においては、ある時から孫引きはしないと決めている。当たり前のようでいて、毎月の連載やコラム、ある意味では毎日のブログでそれをしないと決めて実行するのは並大抵のことではない。覚悟に近い。

 どんなに唸ってみても自前の考えなんて、勝手なことならいくらも言えても裏付けがなければなんの意味も価値もない。そんな時こそメモが私を救ってくれたことが何度もあった。こんどは、このメモの整理、居場所を考えてあげなければならない時期がきているようだ。
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by nihon_buyou | 2009-07-25 12:10 | その他

バリア「アリー」の人間関係

 「とうが立つ」という言葉がある。食べごろを過ぎた野菜であったり、婚期を逸した年齢の人などに使うが、ある意味であまりの親しさからか、女性に可愛さゆかしさ、美しさをかなぐり捨てたような言動をされると、心の中でこの言葉をつぶやきたくなったりする。ちょうどこの逆で、女性が男性を貶めるときには「オジンくさい」と最近では言う。女性にとっては男性がいつも精悍清潔で、溌剌、かっこよくいてほしいと思うからだ。そう考えれば、世間の男族が、上記のような批難をしたくなる瞬間が女性に対してもあることは理解できる。
 
 「もう男だとか女だとか言ってなんかいられないよ」と開き直った時に人は得体の知れない惰性体に変じる。これは実は男女という面だけでなく、弟子師匠や友達、同僚、親子兄弟、夫婦にまで陥りやすい暗淵として存在するのだ。こういう臭気芬芬とした腐れ果てた沼に沈まないために、昔の知恵では「親しき仲にも礼儀あり」という格言で防波堤を築いた。が、現代は人と人との間に境を作ることを古いと非難し、バリアフリーを提唱する傾向がもっぱらだ。

 しかし、老人介護の現場でも、実はバリアフリーではなく「バリアアリー」が実践され始めている。なぜなら外出もせず、障害物もない場所で大切に介護された年輩者はいったん外出した時に怪我などすることがあまりに多いからでもある。このことは箱入り息子娘や無菌室で育てた子供がうまく社会や病気に適応できない姿でもみな十分に知っているはずだ。
 だから、「バリアアリー」では、施設の床などに敢えて障害物や段差などを設ける。そこの中でどう高齢者が適応する術を学び、また介護にあたる側もいかにフォローするかを実習するのだ。

 これ一つをとっても、私たちの人間関係に、ある種の境界は必要なのである。弟子師匠の間や夫婦の間に「礼儀」という智慧をはずそうとするのは、ただの得手勝手、我儘傲慢にすぎない。
 さらには女性が女性を放棄し、男性が男性を放棄した時にも実は人間的としての実存崩壊を容認する道に突入した意味になることを知らねばならない。
 人は他人という存在があるからこそ自分を意識できる。それゆえ、少しでも美しく見られたいと思う。それは外面の化粧のことばかりでなく、内面の鏡の研磨でもある。私たちは親しくなるにつれ、つい境界を忘れ、崩れた姿を平気でさらしがちになる。限りない境界の低さは情報の賜物だが、古くなった「親しき仲にも礼儀あり」の示す境界は人間の、いや自分自身、さらには個人の尊厳を守る唯一の道標ではなかったか…
 この格言の古さが鼻につくなら「バリアアリー」というイマ風の言葉でもいい。人にはそれぞれ越えられたくない境界があり、越えてはならない線がある。人と人にはどんなに限りなく近くに寄っても限りがある!それゆえ他人を愛しく思い、それゆえ自分を美しく高めようとするのだ。自分を磨くとは遠い人に対してではない。近景に対してである考えるほうが理に叶っているはずだ。なぜなら遠景はなんとかなっても近景はごまかしが効かないことでもわかる。
 近景でこそ人は本当の美しさを得る。だから親しさは無理矢理自分の理を通したり、美を認めさせる場ではなく、自分を知って磨くための手鏡なのだ。
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by nihon_buyou | 2009-07-24 07:42 | その他

朝丘雪路さんバースデーと萩原流行打ち合わせ

 昨晩は朝丘雪路さんのバースデーにお呼ばれした。身近なマネージャー・付き人さんはじめ、ごく親しい人々十数名だけなので、私が一番の新参者。でも、いつも応援してくれている新田氏もいてくれたので、わいわいと騒いで?帰って来た。12月の加賀美山や、新しい企画の話題などもあってあっという間の3時間。長い芸能生活を送っている人は多いが、いつも第一線でいることは並大抵ではない。しかも古典の芝居・日舞からテレビ・歌謡曲・ジャズに至るまでは、まさにマルチの走りかもーーー

 今日は萩原流行さんのマネージャーと7日の対談打ち合わせ。木更津で撮影してきたムービーを流すことにはしたが、カメラを縦にしてしまったのをどう修正するか?もう一度、現地に飛ぼうか(笑)
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by nihon_buyou | 2009-07-22 15:36 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

木更津甚句はまだ書けない

 「健康」誌の原稿など書くが、休日ゆえかFAXつながらず。

 昨日書いたブログーー与三郎と日本武尊の話に二人の方から反響があって驚いた。
 木更津レポートは、ホントはこのあと木更津甚句を伝えた露崎ちせさんのことが書きたかったが、もう一つ整理できていないのと資料が足りないので別の機会に譲ることにする。若福さんの御墓があるという寺も訪ねたが、墓は見つからなかった。
 
 甚句の「やっさいもっさい」の囃し言葉を口ずさみながら、ふと和歌山県の飛び地である北山村から新宮へ木材を流す筏師のことを考えたりした。命がけで急流をくだり木を届ける。
 
 そう言えば、道成寺も寺の木材を運ぶ途中で水に没した紀道成(能では橘道成)の名をとって「道成寺」と命名したという。これを信じれば奉行の道成への鎮魂の意が籠められた命名ということになるが、文武天皇が夫人の持仏を勧請するための寺に、はたして事故の犠牲者といはいえ、その名を付けるだろうか?
 
 「木更津照るとも東京は曇れ」もとは安政頃からの唄だというから「東京」は「お江戸」と歌われた。いまでもそのように歌う人がいる。大正ころ、花柳界で復曲した際、当世風に「東京」と歌い替えたのだろう。
 なぜ「東京は曇れ」かは「かわいお方が日に焼ける」からだという、他愛ない理由だが、そんな処が女心でもあろう。
 が、それとは裏腹に、晴れがましい都会へ行く男へのほのかな嫉妬が東京をを曇らせたくなるのだ。本来なら、旅先の空も晴れていてほしいと願うのが祈りだ。が、日焼けくらいを理由に東京を曇れと祈る心理…
 太田裕美の「木綿のハンカチーフ」は、東京へ出て行き、だんだん変わっていく彼への思いが歌われた曲だ。この女性の哀しみと木更津甚句の女心は底で通じるものがある。晴れの都会へ出て行く男と故郷に残る女ーー木更津甚句の「東京は曇れ」は日焼けを案じ、無事を祈りながらも、都会へいっしょに行けない自分の心の曇りを、東京の空へ投影した言葉なのだ。
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by nihon_buyou | 2009-07-21 11:06 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

君去らず、久しぶりだなあ

 道に迷ううち、「君不去最中」という看板に出会う。「きみさらず」は木更津の語源と聞いた。
 「古事記」にある日本武尊の神話で、荒れる海を治めるため后の弟橘姫は入水。それを悲しんだ日本武尊が詠んだ歌が「君去らず袖しが浦」だ。それがこの地名の由来となったというのだが…なんともいえない。しかし、それが当地に根強く言われ続けていたのは事実で、実際にこの菓子の他にも、酒やゴルフ場などのネーミングにも使われている。
 お富も海に飛び込んだ。与三郎は大店の若旦那だったが、もとは養子で後から生まれた弟(実子)を立てようとしてか、放蕩し他人の思いもののお富と出会い、そのために総身に傷を受け江戸に流れて身を落とす。日本武尊も以前は小碓命といって、兄には大碓命がおり、力の強さゆえに父にうとまれ各地を放浪し、さまざまな試練を与えられる。
 愛する女の入水、そして貴種流離という神話のパターンをもっと下世話に砕けば与三郎の物語に似ている。しかも「君去らず」の日本武尊の願いは弟橘姫には叶えられず、お富が一命をとりとめた形で実現される。
 もちろん作者の瀬川如皐がそう考えたとは思わない。が、木更津の語源ともいわれた神話と、与三郎のモデルとなった芳村伊三郎の身の上話を時空を超えて重ね合わせることで、この他愛もない歌舞伎狂言が現代でも上演され続けている民衆的無意識の凄さを見る思いがするのだ。
 「君去らず」のロマンティシズムは、死んだはずのお富と劇的再会を果たす与三郎に「いやさお富久しぶりだなあ」という皮肉な歌を歌わせるのである。
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by nihon_buyou | 2009-07-20 20:24 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言