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天意

 「人を相手とせず 天を相手とせよ」西郷隆盛の遺訓だ。
 
 その言葉を書いた紙を数か月前からトイレに貼っていた。数日前、粘着部分が乾いて落ちた。もう身に付いたからだとそのままにしていた。途端に、とるに足らない常識論に汚され、心が乱れ天意を忘れた。
 
 紙が落ちたのはその知らせだったのだ。未熟…
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by nihon_buyou | 2009-04-30 23:49 | その他

空を飛ぶには

 寝付けず、1時間ごとに目を醒ます。
 
 明け方、友達らに空に浮く方法を教えている夢を見た。2つの机の間に上を向いて立ち、徐々に腹を上げる。と、からだが仰向けになったままで浮かびだすのだ。私は何度もこれをやっていて自信を持っていた。
 ところが、一人が体育館の高い天井まで浮かび上がっている姿を見て、少し脅威を感じた。なぜなら、そんな高さまで上がった経験が私にはなかったからだ。
 が、教えた本人が出来ないのではと負けん気を出して、例の机の間から出発すると、見事に天井まで届いたが、そこの板に体がつくのは嫌だと思ったとたん、もっと高い空へ飛び出したーーー 
 
 夢はそこまでーーしかし、半覚せいのからだには浮遊の記憶がまざまざと残っているのと、現実の世界でも自分は飛べる筈だという想念がグルグルと頭の中で探し物を求めるように駆け巡った。
 
 ああ、空を飛ぶテクニックを夢の中で幾度か使っているのは確かだ。それほどにあれは経験に裏付けられた技術だったからだ。しかし、なぜ、この現実世界で私はそれを試そうとしないのか?夢ではあんなに確かな技術であるのに…こんな時の知性は愚かでしかない。
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by nihon_buyou | 2009-04-30 23:35 | その他

(笑)

 「寝耳に水」ってよく言うけど、まさに一昨日はそんな言葉を浴びせかけられた日だった。
 何度思い返しても、いや思い返せば返すほど、自分の全人格を否定されたとしかおもえなくなる。
 もちろん相手はそんな深い意味で言ったわけではないのはわかる。が、よりによってもっとも自分らしい言葉の表現が非難された。
 
 何年か前、尊敬し続けていた人が、くだらぬ人の私への巧妙な中傷に乗せられ、心遣いの贈り物を突き返してきたことがあった。その時、全てが崩壊…盆暮れの挨拶はすれど、百年の恋の痛手はいまだに癒えずにいる。

 他人にとってつまらぬ事でも、小さな積み重ねで築き上げ、それが自分のキャラクターや人格、特徴にまですり替わっているものがある。どんなに自分勝手をしても、相手への感謝を絶対ないがしろにはすまいと努力してきたこと。わずかなジョークめかした言葉の中に相手への思いを込めること。これらは無意識でも「自分」が自分であるために守ってきたことだ。
 否定されて気がつくのは、これらの小さなこだわりが私にとってもはや「自分」という存在の代名詞になっていたということ。だから、私の発言がその場に居合わせた人々、あるいは当事者らの心の非難になっているさまを想像すれば、怖気と共に自分の存在すら消し去ってしまいたいまでの思いに発展するのだ。

 自分がいい気になって話している姿すらうとましい。
 表現する者の宿命ーー影を作らないことーー影が生まれてもそれすら光にすること。
 ブログーーー覚悟する遊び   (笑)ーーー作為丸見えのマークだが、なかなかのしたたか者
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by nihon_buyou | 2009-04-29 09:05 | その他

人生の乗り換え

 ものを表現する人間は、日常でも他人から借りた表現とは異なる自分ならではの表現を使おうと心がけるものだ。その為に時にそれが人々の間で理解されず、非難の対象になったりするリスクを背負うこともある。これはこの種の道を目指す者にとっての宿命だが、ごく身近な人ほど意外や理解に遠い存在になってしまう時ほど悲しいものはない。

 かく言う自分が間違うこともままある。しかし、その責めも覚悟してさまざまな処で通例の表現を敢えて避ける。もはやそうとしか生きられなくもなっているし、それをやめれば自分でなくなるからだ。

 10年以上前、その将来を嘱望していた女性の結婚式で、私の思いが溢れたスピーチの表現過多を仲間から指摘されたことがあった。その折、思いあぐねて当時親しかった遠方の友に電話したら、彼は絶対に発言を取り消したり、謝罪してはいけない、そうすれば発言は失言となり、思わぬ波紋になるからとサジェッションされた。私はその意をくんで、書いて投函するばかりだった謝罪の手紙を破りすてた。翌日、私の身を案じた彼が用もないのに、新幹線で我が家を訪ねて来てくれたのを今でも心に深く刻みつけている。

 今回も小さな事件が起きた。そこで私の使う言葉表現の含みがわからない人々から非難を受けた。言葉の持つ背景がまったく異なってきてしまったゆえの曲解にすぎない。
 表現を磨けば以前のそれとは変わっていく。いっぽうでそこには、変わっていくものに対して、その場でとどまっていてほしいという力が働く。が、そうなれば転がる玉のほうは加速度を増し、新しい言葉や表現が生きられる国や出会いを求めるしかなくなる。所詮、複数の人間が歩みを共に出来るのは初めの数歩でしかない。あとはそれぞれの歩き方を尊重するか、黙って相手を信頼し乗り合わせるしかないのだ。それが出来なければ列車から下車する。ただそれだけ。
 
 いや、もしかしたら、いま私のほうが新しい列車に乗り換えようとしているのかもしれない。二度目の乗り換えーーー
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by nihon_buyou | 2009-04-28 14:14 | その他

みどり会終えて

 西崎の会のあと、ロイヤルホストで13人で打ち上げ。ビールが口に合わず、2軒目は二の酉という居酒屋で7人。
 
 柳谷兄貴が「自分は日舞は知らないけど」と言いながらの細かい批評が的を射て、別側面からの照射がおおいにヒントになる。掛巣君もよく勉強しているのがほの見える。

 刺激、感動が新しい自分の触媒になっていく。狭い殻でどんなにあがいても出ない答えがふと天から降りてくるような実感。

 今日は夕方まで赤羽で稽古だ。みんなにも付き合わせてしまうのだから、疲れたなんて言えないかと自分をはげましながらの出発。
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by nihon_buyou | 2009-04-27 08:47 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

今日と明日の振り付け

 端唄に乗せた舞踊3曲、皆きっちり踊れて好感がもてたと思う。華やぎにはなれた。

 明日の西崎の会では、数えると私の振り付けが7曲出ていた。いろんな人がいろんな場でいろんな思いで踊ってくれるのはありがたい。

 でも、端唄や古典曲の新振り付けは難しい。背景や風俗を読み違えると事実とは異なる振りになるからだ。新舞踊はその逆で、言葉は現代語だから意味の取り違えが少ない分、振りがただ歌詞の説明だけになったら可笑しくも痒くもない。その狭間にさりげなく、別のドラマを忍ばせるのが私流なのだが…

 踊り手が振り付け者の思わぬ方向へ曲の世界を引っ張ってくれる。みどり会では時々そんなことが起こる。明日は振り付けしたものにとって楽しみのある会だ。
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by nihon_buyou | 2009-04-25 23:58 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

SIROUを待ちながら

 4月24日、文化学院、観世能楽堂から楽千代の店へー待てど暮らせど約束の主は現れず。その間、今年来年の地唄舞の公演の打ち合わせはできた。

 野村四郎師はなんと10時に、だいぶいいご機嫌にて登場。某所で某御大に遭遇し抜け切れなかったもよう。あの某御大がお相手では私とてそうなろう。しばし、芸話に花が咲きすぎ実までなる。

 タクシーで送っていただき一時。

 25日の今日は四郎師の長兄・萬師の狂言の催し。夜は端唄・知優佳会に絵壬乃・櫻鼓・鼓戸紫が出演するので応援。
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by nihon_buyou | 2009-04-25 09:37 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

NHK収録・娘のこと

 昨日久々のNHK-「芸能花舞台」収録。
 懐かしい寺嶋プロデューサーとも会えて嬉しかった。
 初めての高橋美鈴さんとはあちらが合わせてくれたのか、すぐに打ち解けられてお互い笑い通しの時間。しかし全体には真面目に決まりすぎたのがいまいちか?いろいろ段取りを気遣ってくれた奥村さんに感謝だ。
 
 赤羽で講習会用のビデオ撮影。
 
 次女の結婚話が進行。日程や会場が決まる。この子と過ごした時間をいろいろ思い出す。

 
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by nihon_buyou | 2009-04-24 08:48 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

清水由紀子よ、お元気ですか?

 清水由紀子が「スター誕生」のオーデイションで、ギターを弾き語りした姿を今でも覚えている。あの時、同時に合格し審査員のスカウト札を多く集めたのが後のピンクレデイーだ。
 その時の清水はジーンズ姿で体から大きなギターがはみ出している印象だった。愛くるしいまでの笑顔だったが、そのキラキラした目はおどおどと何かに脅えているようで、その初々しさが同時合格のPLの垢抜けない田舎くささとは違っていた。
 ところがPLは一躍大スターになった。清水の晴れ晴れしいデビュウを期待していた私は1曲目の「お元気ですか?」を聴いて、少なからず落胆した。特に最後の「来てくだァさい~」での転調には肩透かしを食う思いがした。もちろんそれが,会えなくなった人との再会に希望を託した技巧であることは想像がつく。が、私には希望というより物足りなさ、頼りなさにしか受け取れず、逃げずにもっと高らかに歌い上げてのコーダを期待したものだった。しかし、好感度は抜群でもインパクトの薄い彼女の売り出しとしてはこれが精一杯だったのかもしれない。
 その清水がバラエテイーに転身して、当時の危うさやとまどいの片鱗もないくらいの明るいキャラでの再登場が、私を内心またもがっかりさせた。これも生き方ー別段、すれ違ったこともない一個人の趣味に合わせる責任は清水にあろう筈もないし、彼女がオーデイション当時にかすめた一瞬の表情の幻を追う人間の存在なんか知るすべもなくていい。
 が、私は今回のニュースを知り、あの時の脅えの表情の意味が理解できたような気がした。明るく素直、家族思いという殻を与えられた彼女の人生。ニュースショーなどでは今回の結末が家族介護の現況への問題提起に転換しつつある。ニュースネタとしては確かに世間に与えるインパクトはある。が、それとは別次元で、私はこの結末とあの合格の瞬間の表情とを重ね合わせて思わずにはいられないのだ。
 私はあの時清水の魂の記憶が、課せられたこの日までの人生図を逆走したために一瞬の脅えの表情を生んだと考えるようになっている。その証拠が「お元気ですか?」の転調の物足りなさであり、一方でスター街道を爆走したPLとのあまりの相違にもつながる。同時スタートでも、えてしてある人生の隔たり。とりあえずは多くの人に知られ、相応の仕事もある中でタレント業を引退せざるをえなくなった事情を今回報道でしらされた。清水の魂はあの時、すでにこれらを全て感知していたのだろう。それほどに彼女はピンスポの中、この未来にうち震えていた。届きそうで届かない梢の実ー
 清水由紀子のどこか物足りない結末は、あの時の脅えと転調の歯がゆさという形ですでに予告されていたのだ。一面識もなく、また特別に彼女のファンでは決してなかった私にこれほどはっきりと記憶させた印象。ここにはメッセージがあると考えざるをえなくこれを記した。
 明るく、家族思いのいい人という世間的評価をすませた彼女はいま、脅えのない新しい世界でデビュウを果たし、転調しないですむ「お元気ですか?」を高らかに歌い始めているに違いない。(合掌)
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by nihon_buyou | 2009-04-23 09:46 | 映画・音楽 他

鼻っ先の世間

 昨日は講習会のための振りを2曲、今日は稽古で別に1曲作る。
 季刊誌はみなで校正。やればやるほどいろいろ気づくところが出る。特に写真の肖像権や著作権、関わっている人の記事一つにも神経を使う。これが出来てこそ空間だし、レベルアップでもある。
 一昨日のミーテイングではたくさんの話題が出たが、特にブログについては皆の見解がまちまちであったことが興味深かった。それは、ブログの存在自体がまだ新しく、評価にしても使い方にしてもが模索中だからであろう。
 それとは別で、いつも注意しているのは、世間の上っ面を撫でて社会を知った気になったり、語ったりしないことだ。常識というものも操作をされている。新聞記事やTVのコメントなどに代表される情報にある底のものを見極める目を養わねばならない。
 私たちが舞台や文章で表現することは、世論のコピーである必要はない。そのため、時にはすぐに人々に理解されず、眉をひそめられることも描く。逆に言えば、時代の流行もまた歴史を動かしたこともはじめは皆に驚かれ、批判されたことが圧倒的だ。情報や世間の善意への後乗りは気が楽だ。情報自体は材料であり、真実そのものでないことくらいは心ある人なら皆気づいている。情報=社会でももちろんないからだ。
 世間の顔色や感情ばかり気にしているうち、年をとってしまう人生ではつまらないだろう。悪く思われたくない気持ちに縛られ行動すれば、それでも悪く思われていたことに気づき愕然とするくらいがおちである。「鼻っ先の世間」という言葉があるが、私たちはそんな幻影を「全体」だと思い、うかうかと世を泳いでいる気になっていると、鼻から水を吸い込んで呼吸困難になるといけないので要注意。
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by nihon_buyou | 2009-04-22 20:40