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阿修羅像と再会

 3月30日ーー興福寺阿修羅像内覧の日。国立博物館平成館。二時からの式典。館長、多川管主、朝日新聞社社長の挨拶がなかなか洒落ていた。テープカット。あそかに私もいつか並べるようにならなくっちゃーー
 二時半。エスカレターで昇る人々を尻目に大階段で。入口で黒木瞳さんの声によるガイダンスを借りて展示会場へ。第1章は宝物など。群がる人の多さに辟易。すぐに第2章へ。まずは華原馨に驚嘆。かの漢の高宗の后が興福寺に納めたという伝説の三つの宝のうちの一つだ。「珠取海士」に登場する宝物。さすがに面向不背の玉こそないが、この馨の存在だけでも感動だが、台座の獅子、支柱に絡み付く龍の躍動、耳の四匹の龍など、どれを見ても歴史、いや生きた伝説が息を吹き返したようだ。しかも音声ガイダンスではその打ち鳴らす音まで聞けた。けっして古びのない清く速やかな音色ーーー
 八部衆は一体ずつが浮き上がって、動きを潜めた活き人形だ。せつないまでに永い静止の時間。人が感知できない呼吸と幽かな見揺るぎ。それを見逃すまいと思いつつも、その前を行き過ぎていかねばならない我らの生。カルラの瞳に射すくめられ、サカラの頬に初めて知った人の世の苦さを反芻する。十代弟子には主張はない。ただひっそりと我らの去り行くのを待つだけ。
 阿修羅像は360度、どの角度からも拝せる。正面の御顔は照明の加減か、満遍なく照らされ、見慣れた翳りがない。その分、左右の御顔と向き合えば、今まで見過ごしてきた下唇を噛んだ一瞬の変化を永遠に残してしまう。この後、この思いはどのように変幻するのか?鼻筋からは僅かにずれた中央合掌の両手。3つの御顔、4つの御耳、6本の腕、2本の脚。
 思えば、この阿修羅像の前で何度涙し、語りかけ、あきらめ、そして鼓舞されてきたかーーいま、奈良の地ではない、私の生れ住んでる東京で内覧の記念する日に阿修羅像に何度目かの再会を果たしている自分。あの時のボクにそっとこの日の出来事を耳打ちしてやりたい。「君は生きてたよ」ってーーー
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by nihon_buyou | 2009-03-31 15:19 | 神仏のこと

花巻の二つの神社

 3月28日、新花巻駅に高橋事務局長が迎えに来てくださる。車で案内してくれると言われ、木像で日本一の大きさと言われる毘沙門天へ二度目の御参り。
 相変わらず参拝者は他にない。が、5月に行われる毎年恒例の「泣き相撲」の、ちょうど屋根などの葺き直し最中。高橋さんのお孫さんはまだ1歳だが、今年出場申込みしたという。神社から下さる半纏を着て先に泣いたほうが勝ちらしい。微笑ましい行事だ。
 毘沙門天像は檜の一本造り4.92m。足下は地天女が両手で支える。この毘沙門天は東北を平定した坂上田村麻呂を表しているそうだから、地天女は土着の神や霊、あるいは人民そのものかもしれぬ。
 この神社は急斜面に立っているせいか、杉木立が限られた空に高々とそびえ、その木肌と社の風雪にさらされたままの感触が静かに共鳴し合っている。
 もう一軒おねだりして、去年土地のタクシー運転手さんに教わった丹内山神社へ行く。赤い鳥居が突然道端に立っているような二の鳥居から上がる。残雪には数時間前あたりについたと思われる足跡が一人ぶんだけ。藤原清衡が建てたらしいが、詳しいことはわからない。境内に七不思議の看板が立っているが、その内の一つに、本堂回廊右の壁面にある唐獅子の木彫を舐めると居眠りしないとあったのが笑えた。
 その裏の小高い場所にご神体の岩があった。そこまで登って見れば、大きな二枚の岩が重なり、子供が一人すり抜けられそうな隙間があった。その立札には、岩に触れず通り抜ければ大願成就、もし触れても合格は叶うとあった。私は勝手にルールを変えて、その大岩を一周して、大願成就叶ったと決めてしまう。
 名の丹内から空海を想像したら、弟子の空弘が創建に関わっているらしい。
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by nihon_buyou | 2009-03-30 08:21 | 神仏のこと

花巻に行く

 今日これから花巻に向かう。ストー企画主催の舞踊子供大会の審査員のためだ。
 代表の須藤氏はもと花巻温泉の芸能部長で、著名な芸能人・歌手のデイナーショーなどを一手に引き受ける傍ら、岩手県新舞踊協会を立ち上げ、県内の舞踊師匠の発展育成に寄与してきた。ゆえあって、花巻温泉から独立。三年ほど前から現在の仕事に転じた。
 去年のこども大会では、圧倒的に演歌舞踊が多く、子供が未練だ不倫だ涙だ酒だと踊る姿に対して、私は講評の席で苦言を呈した。子供にませた世界を演じさせるのは大人たちの無責任な遊びではないかとーーもちろん文部省唱歌や抒情歌ばかりがいいとは思わない。はやりの歌は演歌ばかりではないはずだ。子どもたちが好む歌謡がたくさんある。それが演歌に傾くのは、ひとえに和服に合った振付がしやすいからに他ならない。しかし、その演歌は別れと愚痴と死んでしまいたいと絶叫する。こんな曲ばかりでなく、他にテーマはありそうだ。子供はもっと進んでいる。
 
 
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by nihon_buyou | 2009-03-28 10:38 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

「晴れ舞台」

 3月26日 新舞踊講習会のあと、みなでミーテイング。来年の春の会をどう運営するか、講習会の今後の課題からメンバーのこれからに至るまでーーー
 相変わらず話題に即して話ができる人、黙りこむ人にわかれてしまう。一寸した発言でも有難いのだがーーー
 夜、楽千代で久々クラウンの坂口さんと飲む。同伴で来てくれたのはビクター(ホントはもっと長い財団名)の私市(きさいち)さん。ここに常連の井上氏、柴田氏、水沼氏に理歌さんのピクルスが加わったから座は盛り上がりーーーだったのだろう。記憶が飛んでいるーーー
 27日朝起きれば、乱雑に敷かれた蒲団に寝ている自分を発見。バックの中身がみな出されているから、さてはーと思うものの、これまた自分の仕業と知るが目的やいかに?
 こあやから立ち直ったメール。私自身も指導者としての限界を考えなくはなかっただけに、嬉しい。さまざまなプレッシャーにぶつかりながら人は成長することを目の当たりに見せてくれた。
 天は皆平等に人生という「晴れ舞台」を与えてくれている。それさえ思えばなんでもできる。
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by nihon_buyou | 2009-03-27 10:40 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

みにくい面の夢

 また夢をみたーー楽千代の会の楽屋。演出であるはずの私が、なぜか頭から顎まで紺の頭巾で覆い、顔の歪んだ面を手に持ち、鏡の前であれこれとポーズをとっている。
 すると楽千代が「村先生。そのような醜い面をはずしてポーズを決める時は、面を正面に向けずに、自分の顔からそむけるように見せろとお師匠さんから習いました」と言われた。
 そんな伝承があったかどうかは知らない。たぶん無かったろう。でも、なんとなくありそうな芸談で、亡くなった楽正師が天から教えてくれたのだと思った。
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by nihon_buyou | 2009-03-26 10:52 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

日舞家むざん(続)日舞よ、よみがえれ

(つづき)それはともあれ、このコラボ的公演の名と個人名をふせているのは、私自身があまり個人攻撃になるような批評を好まないことと、日舞家がそれで単純に怒る傾向にあるからだ(笑)。そういう私だから最近書いたものでも、日舞家個人の批判はしたつもりはなく、今読み返しても作品解釈の誤りを指摘しただけであるにかかわらず、それ以来招待状どころか案内さえ送ってこなくなった例がある。
 洋舞でもあった。ある関係者に言わせると、舞踊する人は妙なところでヒステリックになるから、複数による海外公演などは難しいとーー普段は師匠であり、大なり小なり一国一城の主。絶対でいなければならない。その気持ちはわからなくはない。が、ひとたび公演をする時は、家元たりとも師匠たりとも名もないパフォーマーと同列だ。その平面に立っての表現である。不幸にしてその折の観客、あまり見巧者でない人がベテランを採らず、名もなき若手に喝采を送ろうとも、それは小さな不幸でしかない。いや、そういう巡りあわせになった自分になにか落ち度はなかったかと思い返せば一つや二つはあるのが当然なのだ。
 しかし、彼らはそれでも言う。自分が言われるのはいい。しかし、それを弟子たちに読まれ誤解をされたくないと。こうなった時は結局、批評は褒められることを想定したもの以外のなにものでもなくなってしまう。そしてなにより悲しいのはかく言っている自分の視野が裸の王様に変じていることなのだ。王様こそおのれが耳目を清めておのれへ対する批判を虚心坦懐に受け入れるように努力する存在でなければならない。このことは日本の総理などを批判する時などはわかっても、えてして自分のことになるとわからなくなるものだ。
 私は20年ほど前、能の批評を初めて書かせていただいた折、高名な能楽師の舞台を非難したことではっきりとクレームがつけられたことがある。近年でもそれに似たことが一件あったが、この二つと日舞の批評へ対する考えの相違は、能楽師二人がそれから私宛てに招待を堂々と送り続けてくれることだ。
 そのお蔭で私も勉強させてもらったり、別な点で非を知ったこともあった。その方々とはいまだ個人的お付き合いはない。癒着でも懐柔でもない演者と見所の関係あるのみ。これからもこの方々の舞台を見せていただき、感動し時に失望もするだろう。しかし、私はいい時も悪い時も率直に書く以上、感動した時は少なくともその真実、心を揺り動かされた事件の目撃者として文章をものするはずである。それは世界を揺るがすような文章ではないが、一個人の人生を変えるかもしれない記録でもあるのだ。
 お追従ばかりを望むうちは日舞に未来はない。自分を非難されたことが公開されるのは日舞界にとっての進歩だろう。おおいに批判を公表してもらえばいいのだ。弟子の手前や誤解など個人的事情にすぎない。日舞が俎上に上がり、うまいまずいと言われてこそ社会との窓が開く。もしまずいと言われたら、うまい料理を出すように心がければいいだけ。食べる相手の舌が未熟だとうそぶいていられるのはいつまでか。船場吉兆でさえどうせ客は味がわからないと、人をなめて神話が崩れた。
 いま日舞は因幡の素兎さながら、まっかに腫れあがった肌を曝している。それを誰も教えてくれない。なぜなら皆が同じ小さな世界で裸で、しかも世間に目をそむけられながら暮している同族だからだ。まずは痛くとも真水で腫れた肌を清めなければーーー痛い真水とは真実の言葉である。それを探し出すのだ。甘い水は肌をひからびさせるだけ。真水に出会おうとする心を持てば、必ずやそれは早いうちにやってこよう。日舞家よ、よみがえれ。 
 かつて坪内逍遥が日本を代表する芸能になれかしと「日本舞踊」と命名したのだ。その宿命の名を背負って日舞家よ、自覚せよ。
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by nihon_buyou | 2009-03-26 10:31 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

日舞家むざん

 あるコラボを見てきた。その中で日本舞踊というのはつくづく弱いとまたまた思った。
 同じ舞台に登場した能や楽器の演奏者は位置につくまで素であり、いわば観客と同じ呼吸と時空を帯して登場する。が、日舞者は観客とは関係なく雰囲気を作って登場してくる。それが往々にして一人合点のムードだから始末におえない。ちょうど、カラオケで見知らぬグループがいてもかまわずにうまくもない歌を熱唱する客に似ている。そして描き方が水の多い絵の具を画面に染み込ませた時と同じで、絵や色以前に下地の紙をブヨブヨにしていることに気付かない。それは感情過多な若手演劇人と同様な傾向だ。とにかく、日舞がムード作り、即ちただの色染めからまずは踊りを語りかけるくらいからせめて始めないといけない。というと、若い演劇人が自分を出したがる。表現とは出すことではなく、出てしまったものにすぎないのだ。日舞家はまだ若い演劇人の練磨されていない表現レベルにいる。考え直せ。今だからできる。(つづく)
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by nihon_buyou | 2009-03-25 21:45 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

萩原流行の与三郎

 3月23日、萩原流行「与話情浮名横櫛」スチール撮影。スーパーカンパニーをみていた話などする。主催者の竹柴氏に3幕目の演出を新しくしたい旨を話し、許可がでる。この芝居は9月17~23日まで。日本橋劇場の予定。
 撮影終わって、赤羽に戻り稽古ーー
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by nihon_buyou | 2009-03-24 10:28 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言

夢のこと

 夢を見たーーー浅草寺の観音様の内覧があると言われ、父母に連れられて行く。しかし、私はパジャマ姿だ。左側の入り口で父の友達である舞踊師匠や三津岑師匠までが私を見るので、いやだと言うがなぜか本堂の中まで引きずられて行く。 
 床に一人ずつの御膳がずらりとならんでいる。母がそのうちの一つに自分の席を示す札のようなものを置く。私はパジャマなのでそこで食事などしたくはないので札は置かない。
 皆みな晴れ着の中、なぜかパジャマ姿の私ーーー焦るうちに目が覚めれば、父も三津岑師もそのお弟子さんも亡くなった人が多かったことに気づいたーーー
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by nihon_buyou | 2009-03-23 09:02

阿修羅像に会える。

 3月21日ーー興福寺の多川貫主より30日の「阿修羅展」内覧の招待状が届く。嬉しくて何度も封筒を見直す。
 学生時代から幾度、あの御像のまえに佇んだことかーーー小学館の美術全集を買い込んだり、写真を飾ったり、トルソーめいたオモチャまで掲げていたこともあった。
 インドネシアで御縁をいただいたガルーダ像には、法華経普門品第二十五に阿修羅とともにカルラとしてその御名が登場。毎日のように御名を唱えさせていただいているが、今回の展示には八部衆・十代弟子すべてが拝せるという。その喜びだけでも有難いことなのに、公開一日前の内覧でお目にかかれるとはーーー神仏に、そして多川貫主に感謝。この展覧会のご成功を只々祈るのみーー 
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by nihon_buyou | 2009-03-22 15:52 | 神仏のこと