カテゴリ:その他( 55 )

ついに飲んでる姿が…

 昨日の夜は坂口良子さんに突然お呼ばれーー10月のテレ朝の取材でいっしょに店で飲んでるところをーーというわけで、撮影より飲んでる時間が激長(笑)これで私の飲み姿が全国に流れてしまう?ふふふーーー
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by nihon_buyou | 2009-08-22 08:05 | その他

なんやかや お人と

 昨日は久々に野村四郎氏に目白で会う。葛飾の講習会の打ち合わせと亀屋の企画について話す。
 帰り、楽千代の店で12月の打ち合わせ。

 電話で坂口良子さんやヨネヤマママコさんと打ち合わせがてらのお話。

 今朝は狂言原稿3本仕上げる。ジョナサンで遅めの朝食。すでにランチメニューのせいで、御飯がもたれる。やはり朝はパン、昼は日本そばで夜はビールで刺身かな!?これは理想だけど…
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by nihon_buyou | 2009-08-20 12:30 | その他

床屋の噂

 ようやく朝市で床屋にーーーサービス券は45日間有効で、なんと一昨日が期限。ということは47日も行けなかったんだ。と、改めてクマのような己が頭を鏡に映し妙な納得。
 
 店で主人より偉い?従業員のおじさんが、そっと今日までの日付のサービス券に取り換えてくれて200円安!(笑)
 このおじさんはご近所の噂やスナックの女性の休暇、チンドン屋のアルバイトに週2度やって来る女性の情報まで私に提供してくれる、いわばガサネタ源!?
 気づくと私の話もあちこちでしているらしく、今日の様子ではその未知のチンドン屋のお姉さんの頭にはすでに私の情報がインプットされているようで、私によろしくとの伝言があったという???
 
 この店ではいつも落語のテープが流れていて、新聞でもそれが紹介されたこともあるらしい。いつもは志ん朝が多いが、今日は珍しく上方落語で面白かった。
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by nihon_buyou | 2009-08-19 09:30 | その他

人並な…

 この処、急激にPCを使い出したり、木更津映像撮影のためデジカメに挑戦したり、自分の番組のために予約録音ラジオを使ったりと、世の中に遅れること、ン?十年のデジ生活ーーー
 そのせいで、書いてた文章が消えたり、いずこかへ彷徨うOA超常現象にも人並みに出会うようになった。確かにアナログ生活でも私のように整理の悪い人間は、よく原稿や大事な書類が行方不明になっていたから今更驚くには当たらないが、まさにデジタル神隠しはガックリさせるのがわかった。

 昨日は目黒雅叙園に辻村寿三郎氏の平家物語の人形展を拝見に行った。百段階段の踊り場横にある小部屋に、辻村氏独自のテーマを定めて展示してある。それによって氏がこの物語をどう読んでいるかがわかるのだが、歴史の裏側に潜んんだ人々にまで目が向けられているのがいい。
 舞踊的な目からは、一見不安定な肢体や私らの公式にないようなさりげない動きを切り取ったものに大いに心惹かれる。特に肩の削いだような線が醸し出す愛らしさはこわいようだ。

 歌舞伎の稽古はおよそ一週間休みだ。出演者には発酵期間とした(笑)
 私は今日の赤羽稽古を終えると作家生活(?)に入る。ここで狂言マンガの原稿と歌舞伎その他の演出プランの練り上げ、これからの企画整理などだ。といっても、充電兼ねての英気養いが主になりそうだから、あまりあてにはならない。

 書きたいことだらけ、読みたい本だらけだが、どれもなかなか手につかない。が、やりたくなかったり、何もないよりはよさそうだと多寡をくくってみることにする。少しだけ焦りがなくなった。
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by nihon_buyou | 2009-08-17 02:12 | その他

長文3度目の消滅の巻

 長文のブログを書いて、さて投稿の段になったら、パッと消滅する。
そんなことが、この処三度あって、今日はスネテしまった。

 ワードからコピーしてやれば安全と教えられたが、そのやり方わからず、ちょい休憩…

 気分転換なり
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by nihon_buyou | 2009-08-15 13:34 | その他

巧言怜色少なし仁

 人は生きて行くために自分にとって都合のよい論理を選ぶものだ。論理そのものがどんなに優れていtも実体のないものは無価値に等しい。

 世の中というのは巧みな言い回しに弱い。文章はしょせん遊芸であるし、弁舌も陶酔を伴うこともあるからだまされるのもわからなくない。それらが虚構である以上、期待されてしかるべき効果でもあるからだ。しかし、芸能の場合、ある程度修行を積んだ演者は、それらの巧みな言い回しの向こうにある実体の無さを見抜くものだ。


 いまこれ以上を書いてすべてを削除した。むなしくなったからだ。

 言って言って言い続けてもわからないヤツラがいる。これを書いていたら、まるでソイツラに向って書いている気がしたからだ。

 ぐちと悪口は書かないというのが、このブログで自分が決めた自分への縛りだ。

 うまいメンチと盛岡冷麺の味を思い出し、キャロル・セラがカバーしている「やさしさに包まれたなら」を聞いたら甘さが心に広がった。食べ物と音楽が「奇蹟はおこるよ」と私に知らせた。 
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by nihon_buyou | 2009-08-04 11:59 | その他

魔がさす

 「魔がさす」という言葉がある。科学的な事象や表現ではもちろんないが、経験としては多くの人が知らず知らずに体験し、長い間言い継がれてきた現象だ。
 私は一昨年大きな実感があった。本来なら自分が浴びるべき讃や功への評価、その気運を人へ譲った。しかし、その折にはただその人々のために懸命に己が小さな知恵や僅かな人脈を動員したに過ぎない。が、あとで思えば、あの時期、自分のために尽くすべき時機であったことに思い至ったのだ。
 後悔はないが、また自分のお人よしとやさしさにも似た優柔不断が自分の運気を人に譲ったことを悟った。

 今は似非ヒューマニズムに侵されないことを自分に課している。世の中は安っぽい民主主義の仮面が行列している。強いものに対して取り入れられなかったものたちが、強さ自体を根こそぎ否定しようとする。
 弱者をいたわることが善であり、自分の夢より家族への愛を誓うことがヒューマンの基本で、それを少しでもはずせば、すぐ隣りでTVのコメンテーターさながらの良識が袖を引く。が、往々にしてその良識論者は日和見で責任を取らず、裏を返せばだれよりも自分の権利を主張してやまない仮面かぶりにすぎないのだ。

 が、こういう大勢や世間の傾向は否定してやむものでもない。こちらが自衛するしかない。
 べたつく権利の主張に、それがヒューマニズムの仮面をかぶっている以上は対応するのが世渡り上手ではある。が、もう「魔がさす」瞬間を学習し続けた自分は最後の秘策で外からの魔を軽くいなしたり、時には木端微塵に打倒しもするだろう。
 が、内なる魔への対抗ーーーたぶん可愛がってやるのがやはりコツかもしれない。
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by nihon_buyou | 2009-08-03 07:43 | その他

メモと単語帳

 お風呂に入って本を読んでいると、さまざまなことをいつも思い出す。
 あれをしなきゃ、これをしようと意欲が湧く。原稿が詰まったり、いいプランが出ない時も、サウナに行くとなぜか答えに導かれるのと似ているが、自宅風呂の時はわりと目先の用事や思いつきであるのが違う。昨日はメモ用紙がいっぱいになるほどの書き込みだった。
 
 メモといえば最近、単語帳を持ち歩いている。ちょっとした情報や豆知識を書き込んでおくためだ。以前は覚えているだろうと多寡をくくって聞き流しにしていた。開き直って、ホントに必要な知識なら記憶にとどまっているはずと決めたが、いざ思い出す段になると出てこないのが圧倒的だった。自分に過大評価を与えちゃならん証拠だった。

 ついにデジカメと、子供たちからバースデーでプレゼントされたボイスレコーダーも使い始めている。
 情報はあくまでも材料でしかない。データの信憑性を見極めたら、あとは料理の仕方である。結論や要旨においては、ある時から孫引きはしないと決めている。当たり前のようでいて、毎月の連載やコラム、ある意味では毎日のブログでそれをしないと決めて実行するのは並大抵のことではない。覚悟に近い。

 どんなに唸ってみても自前の考えなんて、勝手なことならいくらも言えても裏付けがなければなんの意味も価値もない。そんな時こそメモが私を救ってくれたことが何度もあった。こんどは、このメモの整理、居場所を考えてあげなければならない時期がきているようだ。
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by nihon_buyou | 2009-07-25 12:10 | その他

バリア「アリー」の人間関係

 「とうが立つ」という言葉がある。食べごろを過ぎた野菜であったり、婚期を逸した年齢の人などに使うが、ある意味であまりの親しさからか、女性に可愛さゆかしさ、美しさをかなぐり捨てたような言動をされると、心の中でこの言葉をつぶやきたくなったりする。ちょうどこの逆で、女性が男性を貶めるときには「オジンくさい」と最近では言う。女性にとっては男性がいつも精悍清潔で、溌剌、かっこよくいてほしいと思うからだ。そう考えれば、世間の男族が、上記のような批難をしたくなる瞬間が女性に対してもあることは理解できる。
 
 「もう男だとか女だとか言ってなんかいられないよ」と開き直った時に人は得体の知れない惰性体に変じる。これは実は男女という面だけでなく、弟子師匠や友達、同僚、親子兄弟、夫婦にまで陥りやすい暗淵として存在するのだ。こういう臭気芬芬とした腐れ果てた沼に沈まないために、昔の知恵では「親しき仲にも礼儀あり」という格言で防波堤を築いた。が、現代は人と人との間に境を作ることを古いと非難し、バリアフリーを提唱する傾向がもっぱらだ。

 しかし、老人介護の現場でも、実はバリアフリーではなく「バリアアリー」が実践され始めている。なぜなら外出もせず、障害物もない場所で大切に介護された年輩者はいったん外出した時に怪我などすることがあまりに多いからでもある。このことは箱入り息子娘や無菌室で育てた子供がうまく社会や病気に適応できない姿でもみな十分に知っているはずだ。
 だから、「バリアアリー」では、施設の床などに敢えて障害物や段差などを設ける。そこの中でどう高齢者が適応する術を学び、また介護にあたる側もいかにフォローするかを実習するのだ。

 これ一つをとっても、私たちの人間関係に、ある種の境界は必要なのである。弟子師匠の間や夫婦の間に「礼儀」という智慧をはずそうとするのは、ただの得手勝手、我儘傲慢にすぎない。
 さらには女性が女性を放棄し、男性が男性を放棄した時にも実は人間的としての実存崩壊を容認する道に突入した意味になることを知らねばならない。
 人は他人という存在があるからこそ自分を意識できる。それゆえ、少しでも美しく見られたいと思う。それは外面の化粧のことばかりでなく、内面の鏡の研磨でもある。私たちは親しくなるにつれ、つい境界を忘れ、崩れた姿を平気でさらしがちになる。限りない境界の低さは情報の賜物だが、古くなった「親しき仲にも礼儀あり」の示す境界は人間の、いや自分自身、さらには個人の尊厳を守る唯一の道標ではなかったか…
 この格言の古さが鼻につくなら「バリアアリー」というイマ風の言葉でもいい。人にはそれぞれ越えられたくない境界があり、越えてはならない線がある。人と人にはどんなに限りなく近くに寄っても限りがある!それゆえ他人を愛しく思い、それゆえ自分を美しく高めようとするのだ。自分を磨くとは遠い人に対してではない。近景に対してである考えるほうが理に叶っているはずだ。なぜなら遠景はなんとかなっても近景はごまかしが効かないことでもわかる。
 近景でこそ人は本当の美しさを得る。だから親しさは無理矢理自分の理を通したり、美を認めさせる場ではなく、自分を知って磨くための手鏡なのだ。
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by nihon_buyou | 2009-07-24 07:42 | その他

人と人

 以前親しく付き合っていた人と街中で冷え冷えとした挨拶を交わした。
 
 また親しい人の今後の身の処し方について話す機会もあった。
 
 そんなせいもあってか、朝方の夢は、言うに言えないでいた相手に向って、思い切って意見を述べる場であった。
 しかし、胸が詰まって息苦しかった。滔々と述べる台本は見えているのに、呼吸がそれを邪魔していた。

 おそらく日常の不完全燃焼のガスが溜まったせいだろう。

 今日はこれから木更津に取材がてら海を見に行く。与三郎・お富・こうもり安のモデルになった人らが眺めたはずの海。それから千倉へと足を伸ばして魚肴をいただく。
 淋しさには海が似合う。
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by nihon_buyou | 2009-07-16 06:20 | その他