カテゴリ:日本文化・しぐさ 他( 5 )

12.28

 人形町の商店街はこの時期、正月のお飾りや門松などを売る露店が立ち並びます。
 昨日はなぜか毎年その店で買ってしまう店主から声をかけられました。両手に荷物の私は28日が不動尊の縁日なのでと一日延ばしてー今日お飾りを人形町の私室と赤羽にするつもりです。

 昨日は柳谷さんと今年最後のがんこ座で踊りを見ながら食事。知り合いが、「こういう不景気の時は歌舞音曲がいい」と、わかっている人がいるもんだねと暗黙の合意。芸能は天に通じ、神仏を和ませ、人々の心を歓喜させるからなんです。

 その意味でいっても、能や歌舞伎が演劇になろうという一時代前の野心はもう捨てたほうがよろしい。演劇は人間賛歌ですが、天や季節の巡行を祈る性質のものではありません。芸能は本質に祈りがあって、それを娯楽という表皮に包んだものです。その比率はさまざまですが、先日の加賀見山にしろ忠臣蔵にしろ、曽我でもほとんどにメッセージを秘しています。ちょうど土中に埋め込んだ願書のような感ですね。

 ある時期、西欧から来た演劇という概念に染まってこそ新しいのだという風向きがあって、芸能がすべてそちらに靡いたのです。いわば芸能の地位は演劇の風下に追いやられたわけですね。
 もちろん能も歌舞伎も演劇的な部分を大いに有していたわけですから、胸を張って我も演劇なりを主張したわけです。が、それでは解けない部分があまりに多い。例えば最後に登場する国土安穏、山川草木悉皆成仏、めでたけれ…等々は過去の遺物と断定して切り捨てるしかなかった。

 まあその程度はなんとかなっても、忠臣蔵が12月に必ず上演され、師直は黒、若狭は浅葱、塩冶は卵色のそれぞれ大紋をつけている意味や、曽我が正月であるメッセージは解けない。析で開幕や終わりを知らせ見えにはツケを打つ。金属でもよさそうなものを敢えて木で行う。能はほとんどすべての役が扇を持つ。持たねば能にならない。それに続く芸能のほとんどに扇が纏わりつく。木や扇は依り代であり、これをめがけて芸能は天下り、また芸能者の魂は発揚するのです。


 近年、自然から人間は離れ、自然を動かそうとしました。また人間同士もマンションのドア一つで他と個を隔て、プライベートや個性などを信奉しました。
 そのひずみで起きた現代の事件、事象の数々…
 芸能は自然や天と人間が交流するすべを知っています。また人と人が個体という殻に閉じ込められているのではなく、互いににじみ交歓できることを実感していました。だから一人の人間がクルリと回って人格を変えたり、義経役が「その時義経少しも騒がず」なんていうト書きを歌えてしまったりしたのです。

 終曲間近に登場する祝儀は人間が、自然や天と交流できた実感あってこそあんなに多く歌われ続けたのです。
 この時代だからこそ歌舞音曲といったのはこんな意味や体験があってのことだったと推察されます。

 年末にTVで歌番組やお笑いが多いのも、気ぜわしいからだけではありません。人々の歌や笑い声が新年の嘉祥を呼び込むからに他なりません。
 
 すべては予祝です。めでたい家にしておかなければ、めでたさは到来しないのです。

 さあ、これで私も今日、門松とお飾りができそうです。良い年は暮れのうちから招きましょう。
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by nihon_buyou | 2009-12-28 10:24 | 日本文化・しぐさ 他

朝丘雪路さんとの対談すんで

 七夕の夜ーーー朝丘雪路さんとの対談。心配していたお客様の入りもまあまあで、しかも私の晴れ男ぶりは、この梅雨を真夏日にしてしまう。
 
 考えてみると、「先代萩」の稽古・本番を含めた2か月は毎日のようにお目にはかかったが、朝丘さんのことはなにも知らない。とにかく資料さがしや伊東深水氏の絵画をながめてはいろいろ話の骨組だけは作っていった。母から深水作詞の小唄のテープも届く。お客入れ音楽は朝丘さんの歌ーーー

 彼女の会話のリズムをつかみきれない冒頭では、あちらの話にかぶってしまう部分もあったが、呼吸がわかると流れに勢いが出た。その現れが「湯島の白梅」の実演だし、観客のリクエストに応じてアカペラでの歌唱につながる。とにかく、朝丘さんと観客が気持ちよく、贅沢を言えばなにか励みになるような時間になればと心がけた。
 終わったあとは観客から勉強になったの声多く、大好評のようで、主催者からもいままでやった過去の催しの中で一番面白かったと讃辞を得た。
 終わった楽屋で朝丘さんからは、父上伊東深水氏が着ていた大島を下さるとの話まで飛び出す。着物は魂の住処である。名誉なことだ。

 主催の竹柴氏も大喜びで打ち上げに同行。狭い店で15人、語り合う熱気の中でビールしか飲めない私はまるで赤鬼のごとき面相に変じていたようだ。
 
 来月7日は萩原流行さんとの対談。はたしていかにーーー
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by nihon_buyou | 2009-07-08 19:05 | 日本文化・しぐさ 他

目・耳そして不帰

 辻井伸行さんのCDがデヴューアルバムとして新記録を作ったという。ピアノを弾いている姿を見ていると、音と戯れ、その時間に生を実感しているさまが伝わってくる。音楽以前におそらくその崇高ともいえる無心に「遊ぶ」辻井の姿に、聴衆は自分たちが忘れたものを垣間見てまず感動するのだろう。
 「遊」に関していえば、白川静先生の「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。」という言葉を思い出す。「遊」こそ芸能の本質であり、人生でもそうありたいと思う。

 「爆問学問」に障害学の福島智氏が登場した。彼は全盲聾で、初めて大学教授にまでなった人だ。言葉は常に傍にいる人による指点字という手法で他者とのコミュニケーションをはたしている。
 その福島氏は自身を宇宙の中に抛りこまれた存在のような孤独を感じると表現した。
 さらにナチス・ドイツに収監された思想家ヴィクトールEフランクルの体験から導かれた公式を紹介。それは「絶望=苦悩ー意味」というもので、福島氏はこれを移項して考え「絶望+意味=苦悩」であるから、人生の意味を感じれば絶望に至らないと自身を蘇生させたようだ。
 いつもは直載で鋭い太田もここでは「先生はいまが一番幸福ですか?」という愚問を発せざるを得なかった。私ももちろん、太田にも理解も想像も絶した世界の只中に福島氏がいるからそんな質問しかできなかったのだろう。
 が、太田の名誉のために敢えて言うとーーーこれに関し福島氏が「しんどいこともある、太田さんだってしんどいでしょ」と応じると、太田は即座に「田中はしんどくないけど」と面目躍如な答えを返したことを付記しておく。

 三沢光晴というプロレスラーが試合中に亡くなった話を聞いた。私はまったくその世界を知らなかっ
たから、三沢の生前の試合ぶりや斯界で果たしてきた業績に関してはTVの情報でかろうじて得た程度だが、その活躍と業績、そしてファンの信頼の篤さには驚いた。
 ふと思い出したのは、友達だった坂東寿二郎さんが「まかしょ」をリハーサルで踊りながら旅立ったこと。「しまりやっせ」という歌詞でころりと舞台上で横になる振りがあるのだが、そのままいびきをかきだしてしまい、不帰の客となってしまった。
 その後、彼の愛娘が二代目を継ぎ、今も私の所へ稽古に来ている。友が私に託した娘というメッセージ…ときおり、これでいいのかい?と友の声を求めて耳を澄ますことがある。
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by nihon_buyou | 2009-06-16 08:14 | 日本文化・しぐさ 他

日高屋の箸

 中華そばの日高屋は安価で気楽に入れる店なので、時々利用する。
 ところが、つい先日、その店の一軒でプラスティックの箸が使われていて、少しいやな気がした。そこの店だけかと別の店に入ると、こちらも割りばしをやめてそれを使用していた。
 エコの呼び声高く、森林伐採の危惧が叫ばれている今、割り箸を使いまわしの利くプラ製のものにするのは、店としては時代に即した判断であり、かつ節約にもなろう。
 
 が、私はさまざまな講演で「家庭では自分専用の箸を持つのに、ナイフとフォークにはなぜそれがないのか」をテーマに、日本人の箸への禁忌、植物に神や魂が移りやすいと考える日本の民間信仰について話してきた。
 昔の人は使った割りばしをわざわざ折って捨てた。それも箸に自分の魂が宿ると考えた名残である。もちろん今時それを真剣に信じる人は少なかろう。が、箸で食べ物を刺して食べないことや、膳に縦まっすぐには置かないこと、ご飯に箸を突き立てないことや迷い箸をしないことなど、真の意味はわからずともなんとはなしに継承してきている文化がある。
 これらはある時代の信仰(それは現代では科学であり情報)から発し、時間の淘汰を経て現代でも「そのルールを犯すとなんとなく落ち着かない気分」として身についたものである。
 
 信じる信じないとは別次元で、私たちが身につけてきた習俗を放棄することは、民族としての記憶もさることながら、個人史としての身体記憶や感覚をも削除してしまうことになりかねない。
 おそらく大きなエコの波で、割り箸は割愛される憂き目にあうことが増えるであろう。が、食べ物屋や蕎麦屋で割りばしが使われなったとしても、私たちの記憶の中で「箸は自分専用か、さらの割りばし」の感覚を忘れてはならない。おそらく日本では少なくとも2000年は保ち続けた感覚であったろうから…
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by nihon_buyou | 2009-06-14 11:28 | 日本文化・しぐさ 他

666の一日

 連載の原稿書きーお稽古初めはなぜ六才の六月六日なのか?これがテーマ。ちょうどその頃がすんなり自然と事に入れるというのが一般回答で、みな似たり寄ったり。導き出した私の見解は伝統文化新聞にーーいろんな資料と首っ引きの一日。

 部屋の大掃除するつもりが、結局CD5枚をこちらからあちらへ移動したのみで終わる。

 調べ散らかした本の山…今日は登山の夢か?
 
 
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by nihon_buyou | 2009-05-06 20:43 | 日本文化・しぐさ 他