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不燃焼な夜には

 日本舞踊の公演を見たが、どうしてもストーリー、いや段取りを追うのが作品の中核になってしまうのがつらい。
 江戸期の舞踊劇といわれるものは、ストーリーという縦軸に対し、さまざまな横軸を絡ませる。例えば「関の扉」では、小町姫の美しさに劣情を催した関兵衛の武骨で滑稽な動揺が「きやぼ」の当て振りに発展するのだし、三人の総踊りは互いの正体を一方は隠し、他方は暴こうとする葛藤が発展した表現だ。一番の見せ場を振りに託してこそ舞踊劇なのであって、それを思い入れやただのマイム的段取りにしてはほとんど上演の意味すら失ったも同然。しかもそれが皆のよく知った歴史的事実を作品としたなら尚更である。
 思いの熱さ、テーマを取り上げるにあたって食指が動くことは痛いほどよくわかる。しかし、それを具体化するには作家的、演出家的アプローチが一度思いを洗い流さねばいかんともしがたいのだ。
 
 そんな不燃焼かつ、日舞に携わる者として一連のこの種の作品に接した時のいたたまれなさに、思わず本屋をはしごした。
 松岡正剛「神仏たちの秘密」真山仁「ハゲタカ」野口武彦「江戸の風格」古今亭志ん生のCDブック購入。
 こんな夜、悶々としたらモーツァルト!もうその軽がるようなメロディーが外の雨音を消すように、私の陰鬱を溶かし始めてくれだした。
by nihon_buyou | 2009-05-05 19:32 | 伝統芸能・日本舞踊・能狂言
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